みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、引き続いてお送りしています。
さまざまなレジャー施設を、開業時から次々と開設した阪和。あまたあるもののうち、最大の規模を誇った「砂川奇勝・砂川遊園」について、引き続き項を割いています。
これらが存在したのは「阪和砂川駅(現在のJR和泉砂川駅、大阪府泉南市)」の東側一帯。
現在は、住宅地へと変貌しています。
奇岩が重なる自然の造形である奇勝を中心に、展望台、大花壇、ボート池、モンキーハウスなどの遊園地施設のみならず、キャンプ場やハイキングコース、広大なグラウンドなどを兼ね備えた「総合レジャー施設」でした。出典①。
拡大しますと、ちょっとわかりにくいですが…駅を出て、並木道をそぞろ歩くと自然の池。
そして、少しずつ山を登って園内へと入って行くというものだったようです。
ちなみに、閉園されるまで入場料の類は一切無料だったとのこと。
以前、訪問した別の「阪和電気鉄道」に関する展示には、よりこまかい描写のものがありました。
こうして見ますと、遊具施設中心というよりかは、自然を楽しむ公園に近かったようにも感じます。出典②。
ところで、この遊園が出来る以前から、ここには「砂川奇勝」という、白い奇岩が幾重にも連なる自然の名勝がありました。
当時の写真からですが、さまざまな形状をした岩の間に生える木々…見たことのない、なかなか不思議な光景です。
この奇勝の由来については、詳しい解説を以下にご紹介したいと思います。
「砂川奇勝」は、今からおよそ200万年前に始まる洪積期(こうせきき)に、海の底の砂や粘土が積み重なったものが隆起し、丘陵となったものです。この丘陵は元来海の底にあったものですから大変もろく、雨水によってどんどん削られ変形してしまいます。
この削られた姿が、砂が流れる川のようにみえ「砂の水を流せるを以て此の名あり」といわれるように、「砂川」の名がつけられたのです。
削られた丘はとても人工的には作り出せない不思議な形をしています。
ある時は猛虎の姿に、またある時は、天に駆けのぼる飛竜の姿に見えたなどといわれています。
このため泉州でも随一の景勝地としてにぎわい、古くは岸和田の殿様なども遊覧になり、数十年前までは観光地として、訪れる人々が絶えなかったということです。砂川奇勝は、今もその一部が大切に保存されています。
(泉南市「古代史博物館」ホームページより)
ということで、太古の昔に堆積した砂や粘土が作り出した自然の造形だった、といいます。昔は、海がこのあたりまで迫っていたんですね。
しかし、不思議なものですが、昭和30年代から宅地開発がはじまり、いまはほんの一部のみが「砂川公園」として遺されるにとどまります。
同時期に遊園も閉鎖されて宅地化されました。
実際に、「和泉砂川駅」から遊園と奇勝跡をたどったことがありました。
宜しければこちらもどうぞ↑
ところで、阪和が力を入れて開発を推し進めた「砂川遊園」。そうなると、リーフレットの類いもたくさん制作されたのですが…
どこかで見たことのある、世界的に超有名な、あのネズミのキャラクターがリーフレットに!出典③。
え!と思ったのですが…では、毎度おなじみフリー百科事典「Wikipedia#ミッキーマウス」より。
…日本にミッキーマウスが紹介されたのは「蒸気船ウィリー」公開翌年の1929年のことで、阪和電気鉄道(現在のJR西日本阪和線)が1935年頃に発行した「天恵の楽園」砂川遊園のパンフレットのキャラクターに用いられていた…
なんと、日本ではじめてミッキーマウスを紹介したのは本題の「阪和電気鉄道」、イメージキャラクターとして採用したのがこの「砂川遊園」にまつわるものだったという!
これは、本当にびっくりです。
もちろん、きちんとライセンス契約をされていたようですから、テーマパークのキャラクターとしては、日本では1983(昭和58)年にオープンした本家本元の、千葉・浦安に先んじること半世紀ほど前のことです。
そのような華麗な歴史の一ページを拓いた泉南の遊園と、奇勝の夢の跡は、いまは静かな佇まいの住宅地なのでした。
「事実は小説より奇なり」とは、まさにこういったことをいうのでしょうか。
(出典①「阪和電気鉄道 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和10年)
(出典②「企画展 昭和の一大観光地砂川」展示より 泉南市埋蔵文化財センター 平成30年2月)
(出典③「阪和電鉄開通90周年記念 いずみの国歴史館 信太の森ふるさとリレー展示 阪和電気鉄道からJR阪和線へ 和泉に電車がやって来た!」リーフレット いずみの国歴史館 和泉市信太の森ふるさと館 令和元年10月12日発行)
次回に続きます。
今日はこんなところです。