みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。
ここでは現在、京都・新大阪・天王寺〜南紀方面を結ぶ「特急くろしお号」の源流である「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)〜省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との直通列車運転について、その黎明期の様子を、展示に沿いながら探っています。

阪和電気鉄道広報誌「阪和ニュース」第17号
1933(昭和8)年11月1日発行。展示より。
さて、前回の記事でも触れましたが、その「特急くろしお号」の誕生というのは、1933(昭和8)年11月4日に「阪和天王寺(現在のJR天王寺)〜東和歌山(現在のJR和歌山)〜紀伊田辺」間で登場した、乗り換えなしの直通列車「週末快速列車」なるものに遡ります。
「大阪〜和歌山間(阪和天王寺〜阪和東和歌山間)」は「阪和電気鉄道」。
和歌山以南は「鉄道省(省線)紀勢西線」へ乗り入れ、専用の客車が用いられました。
大阪発は土曜日の昼過ぎ、紀伊田辺発は日曜日の夕方前で、大阪には夜に到着するという、一泊旅行に重宝されるものだったといいます。出典①。
ところでこの列車は、和歌山県下第ニの都市・田辺への大阪からの直通列車、というよりは、田辺からバスに乗り換えて20〜30分ほどの、関西の奥座敷「白浜温泉」へのアクセスが最大の目的の列車だった、というところまで、取り上げて参りました。
グーグル地図より。
その「紀伊田辺」から、白浜温泉まではもうすぐ。紀勢西線の建設も、さらに急速に進められて行きます。そして…
阪和電気鉄道広報誌「阪和ニュース」第18号
1933(昭和8)年12月1日発行。展示より。
「紀勢西線 紀伊田辺〜白浜口(現在の白浜駅)間」延伸が完成するという記事が、大見出しになっています。それほどこの延伸は、阪和・鉄道省ともに大きな出来事だったことが窺えるものです。では、紙面から。
そしてついに、
1933(昭和8)年
12月20日
紀伊田辺駅 - 紀伊富田駅間 (12.8km) が延伸開業し、紀伊新庄駅・朝来駅(あっそえき)・白浜口駅(現在の白浜駅)・紀伊富田駅(きいとんだえき)が開業 を迎えます。

それと同日には、阪和電気鉄道側では…
特急を阪和間45分運転にし、超特急へ格上げ。紀勢西線の延伸により、白浜口駅(現、白浜駅)まで「黒潮号」運転区間を延ばす。


ということで、白浜口開業のわずか1ヶ月前に、紀伊田辺まで運転を開始したばかりの「黒潮号」は、延伸の当日に白浜口駅まで運転区間が延伸されました。
さらに、和歌山から大阪・天王寺へ直結し、直通列車が経由する阪和側でも、大阪・和歌山間62.8kmを超特急で45分運転という超絶な高速運転を開始、所要時間の大幅な短縮に帰することとなりました。その12月20日改正の時刻表。
そういったことで、駅から温泉街の中心地、あるいは風光明媚な「白良浜(しららはま)」、また、海沿いの名勝各所へのアクセスには、近鉄傘下の「明光バス」に乗り換えです。
ちょうどこの時期ですと、駅を降り立ったたくさんの観光客が、連なってバスに列を成す光景が見られるようになります。
これは、令和の今日でも変わらぬ風景ですが…
わたしも大好きな白浜、行きたいものです。
白浜開業によって阪和と、鉄道省とのサービス拡充はさらに進められていくことになります。
そのあたりをいま少し、掘り下げてみたいと思います。
(出典①「阪和電鉄 路線御案内」阪和電気鉄道 昭和5年発行)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線 ならびに#阪和電気鉄道)
次回に続きます。
今日はこんなところです。