【再編集UP】阪和電気鉄道 昭和初期の面影「企画展 昭和の一大観光地砂川」と「砂川奇勝」その15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
 
 
さて、ここまで、大阪・泉南で開催されていた「企画展 昭和の一大観光地砂川」と、そのテーマになった「砂川遊園・砂川奇勝(すながわきしょう)」について取り上げて来ました。
 
 
 
昭和初期に「砂川奇勝」という古くからの名勝のふもとに、四季折々の自然の中、実に夢のある壮大な「砂川遊園」。

テーマにあるように、明治期に「箕面有馬電気軌道」として開業した現在の「阪急電鉄」が建設した、現在でいう統合型リゾートだった「宝塚」を目指したゆえんから、「第二の宝塚」という副題がつけられていたことに、展示の資料などを拝見するに頷ける思いになります。
 
 
これまで、この「砂川遊園」や「砂川奇勝」についての記録というのは、まとまって編纂されたものが存在していなかったそうです
(文化財センターの学芸員さんの弁)。

そんな中で、詳細な年譜や資料を整え、企画展の開催を実現された関係者の方々の労というのは、実に多大なものだったのではないかと拝察します。
 
 
「古来からの名勝を敷地内に持つ」という、他の遊園地では例のない、いまからするとさまざまな楽しみ方が出来るという趣向を鑑みるに、実に魅力的なものであったことに相違ないように感じます。
 
遊園が姿を消して半世紀以上、この「砂川奇勝・砂川遊園」という名所をこのように回顧出来たということは、わたしなどの実際にそれらを体験したことのない層にしてみれば、実に新鮮なもので興味深いものでした。
 
 
ここからは「阪和電鉄 沿線御案内」 昭和15(1940)年発行より。
「JR阪和線」の前身、私鉄の「阪和電気鉄道」が広告のために発行したものです。
 

 
「京阪電車」が出資の中心となり、大阪・和歌山間の超高速運転を最大の目標にした、日本の鉄道史に残る伝説の「阪和電気鉄道」による、その「砂川一帯」をはじめ、沿線の開発や観光客誘致の力の入れようについても知ることが出来、実に意義深い訪問だったと感じた次第です。

 

 

 

 

昭和のはじめから、先の戦争が終わる直前までという、わずか15年ほどの間…

普段なにげなく利用している路線にも、実に深い経緯と歴史があったとは、掘り下げてみると実に興味深いものだと再認識した次第です。

 

おつきあいくださりありがとうございました。

今日はこんなところです。