自粛要請が解除になったらいちばん行きたかった大阪城を散策する その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

府内への自粛要請が解除されたら、いちばん行きたかった大阪城を先日、散策した際の様子をお送りしています。

 

 

公園の中心部、「天守閣」や「ミライザ大阪城」といった、観光名所をぶらぶらと散策しながら拝見しているというところです。

 

 

今度はこれら中心部(赤い□付近)から南東方向へと歩いてみます。そろそろ帰り支度です。

 

 

古来から湧き出ているという「銀明水井戸(ぎんめいすいいど)」。水都・大阪ですから、伏流水も豊富にあったことが窺えます。

 

 

さて、その井戸の向こうには…立派な設えの門が控えています。

 

 

重厚な扉です。ですがここのみならず、ここに至るまで抜けて来た門の数々は、同様に見るに頑丈なものばかりでした。

 

 

 

この立派な門は「桜門(さくらもん)」と呼ばれています。

本丸への南口ですが、解説にありますように「正面玄関」に当たります。

 

設けられたのは豊臣時代だということですが、先日の項でも触れたように、豊臣秀吉公が建設させた「初代・大坂城」は、徳川政権になってから、石垣から天守閣から解体に近い形から再建されたので、それぞれで位置がかなり違うようです。これも興味深いものです。

 

 

現在、わたしたちが目にする「大阪城天守閣」は、昭和に入ってから再建されたものですが、地割りや基礎などは「徳川時代」のものがベースになっています。


徳川幕府としては、かつて政敵だった豊臣時代の遺構を葬り去りたかったようで、初代(豊臣時代)にせっかく苦労して築いた基礎の多くを、再建の折に埋没させたという経緯があります。

 

 

ただ、その「豊臣時代の石垣」を含め、はじめてこのお城が建築された遺構の発掘作業が現在進められているのだとのこと。

調査・研究はまだ緒についたばかりのようですが、今後の計画が大変気になります。

 

 

さて、くだんの「桜門」からまわりを眺めてみます。

公園でも南端に当たるところですので、向かって左側(西方向)には、左から「大阪歴史博物館」と「NHK大阪放送局」、「大阪府警本部」がもう間近です。最寄り駅は「OsakaMetro谷町四丁目駅」に当たります。

 

 

ここで特徴的なのは、右側(東方向)のお堀は水の張られていない「空堀」になっていることでしょうか。

しかし、堀の深さや石垣の高さというのはこれほどのものがあるのかということがよくわかります。勉強になります。

 

 

 

そして、門から外周路をはさんで「豊国神社(ほうこくじんじゃ)」が鎮座しています。

初代・大坂城をつくらせた「豊臣秀吉公」を祀ったお社として、大阪では広く知られている神社です。

こちらも訪問しましたので、また後日の項で取り上げたいと思います。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。