自粛要請が解除になったらいちばん行きたかった大阪城を散策する その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

府内への自粛要請が解除されたら、いちばん行きたかった大阪城を散策した、先日の様子をお送りしています。

 

 

いよいよ、待ちに待った!大阪城天守閣の間近までやって来ました。 

 

 

 

天守閣、北西側から。キリッと積み重なった、ツライチの石垣。これはたまらぬ眺めです。 

 

 

早く天守閣からの眺めを拝見してみたいところですが、ここにも案内板があります。

 

 

現在は、緑溢れる公園として親しまれているこの大阪城公園ですが、明治期に入り、その広大な敷地を活用して、旧日本陸軍の関連施設が建設されました。 

先の戦争も終わりの頃、日本本土への空襲が激化し、重要施設が建ち並ぶここを標的に、激しい爆撃が行われました。

 

 

天守閣の北側に回ってみます。空襲のさ中、大型爆弾がいま立っているあたりに着弾…

 

 

 

見た目に異様なこの石垣のずれは、その爆弾の衝撃で生じたものだとのこと。ぞっとします。

 

 

 

戦後70年以上経過した現在でも、公園内には、いわゆる「戦争遺跡」が数多く残されています。この跡地も、知らない存在でした。 

 

 

それでは、この大阪城公園と、先の戦争にまつわる経緯について、少し掘り下げてみたいと思います。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。