【再編集UP】JR九州 全線完乗への道!~不通区間をBRT化へ…日田彦山線乗車記① | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

昨日の記事で、北部九州の南端を走る「JR九州 日田彦山線(ひたひこさんせん)」のうち、3年前の「九州北部豪雨」で被災し、いまなお不通になっている区間の復旧に当たって、これまでの「鉄道方式」での復旧ではなく、「BRT(Bus Rapid Transit)」という、専用のバスや、専用道路を使用した方式での復旧で、沿線の三自治体が事実上合意した…という話題をお送りしました。

 

不通区間を含む「日田彦山線」の南区間、「田川後藤寺(たがわごとうじ、福岡県田川市)~夜明(よあけ、大分県日田市)間」は、福岡・大分県境の険しい山々を、長大なトンネルで突っ切るのとともに、のどかな雰囲気を味わえるものでした。

 

 

「JTB時刻表」巻頭の索引地図より。

 

ところで、いまを去ること5年前の2015(平成27)年に、「日田彦山線」のこの区間に乗車したことがありました。

当時は「JR九州全路線」に乗車しようと、乗りつぶしの旅の途中だったのですが「博多駅(福岡市博多区)」から「特急 ゆふ号」に乗車。

 

「日田駅(大分県日田市)」でいったん下車した後、「日田→田川後藤寺→夜明→日田」というルートで、今回取り上げている区間に乗車しました。ここからは、その当時ののんびりとした「乗り鉄」の様子を回顧しながら、お送りしたいと思います。

 

(2015年3月25日アップ分を再編・再掲)

 

 

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗」を目指し、今回の旅最初の未乗区間、「久留米(福岡県久留米市)」と、「大分」とを結ぶ「久大(きゅうだい)本線」に乗車、途中の「日田(ひた)駅」(大分県日田市)に降り立ちました。

 

 

「博多駅」からは1時間15分ほど、赤いボディの「特急 ゆふ73号」をここで下車します。

 

 

「ゆふ号」はこの先、温泉リゾート地として名高い「湯布院(ゆふいん、同由布市)」などを経由、「別府駅」へと向かいます。

ここから、自然豊かな景色が車窓に広がる区間に入りますので、降りるのがちょっと名残惜しいものですが…

 

 

さて、改札へ向かうところですが…横断幕に「ななつ星」の文字が。

JR九州の誇る「超豪華クルーズトレイン」として知られる「ななつ星」は、車中泊だけでなく、経由する沿線の温泉地での宿泊、観光なども含まれていると言います。この「日田」にも立ち寄ることがわかります。

 

 

「日田駅」駅舎です。駅舎は新しい感を受けますが、訪問当時は改築中で、一部工事中でした。
しかし、木材が各所でふんだんに使用されているようで、心地よさを感じます。

 

 

 

さて、駅前広場にはまるで「宿場町」を思わせる「行灯」のオブジェがあったのですが、この「天領(てんりょう)」と言う文字が目に入りました。「ホークス」の試合をCS放送で観ている時など、「ヤフオクドーム(今年からは”PayPayドーム”)」に「日田天領水」と言う大きな広告があったことを思い出すのですが…

 

 

それでは、この日田については…わたしの旅ではいつも参考にしているシリーズ本、

「各駅停車全国歴史散歩45 大分県」(大分合同新聞社編 河出書房新社刊 昭和58年11月初版発行 絶版)から拾ってみます。

 

水の美しい盆地

 日田市、とりわけその中心となる日田盆地は、先史時代から江戸時代まで、各時代ごとに大きく文化を花開かせた歴史の町であるとともに、美しい自然に包まれ、水によって演出される観光の町である。(中略)

 

 

駅前の案内図を見ると、駅の目抜き通りの先には「筑後川(ちくごがわ)」があります。

この駅の到着直前に「久大本線」に寄り添うように姿が見えました。そして、豊富な森林を古くから産業資源にしていたようです。

 

 

天領の中心地

 近世になり、一時的に大名領となったものの、すぐ幕府領(天領)となる。島原の乱のあとの貞享三(1686)年である。

とりわけ明和四(1767)年に代官が西国郡代となってからは、九州に散在する天領一二万石余国の統治と諸大名の監視にあたり、九州の政治、経済、文化の一中心地ともなった。

 

経済地には代官の御用商人として掛屋(かけや)と呼ばれる商人群が生まれ、酒、醤油、油、紙などの商いで資本を蓄積する。

それに公儀(※注釈:江戸幕府)からの預かり金を加えて「日田金(ひたがね)」が生まれ、財政のひっぱくした諸大名はじめ一般農工民に貸し付けたが、代官の名が力となってこげつくことはなく、ますます肥えふとった。

この資金力で林業はじめ各種産業は大いに発展したものである。(中略)

 

みやげも多いが、産業的に重要なのは日田杉をはじめ豊富な林産資源を生かした木工芸。

自然と文化、産業と観光をマッチさせ、モデル定住圏・日田がより住みやすい町になってほしいものだ。 

(出典同 P130-133)

 

また、とにかく古墳が多い。ざっと数えてみただけで、名前をつけられているものだけで四○基を軽く超える。

ともありました。

 

 

古代から、書物に天皇との関わりが記述されていたり、また古墳では豪壮な装飾品が多く発見されるなど、当時の権力者が大きな勢力を誇っていたことと、「森林や大河という豊富な自然がある」ことは、さまざまな産業が発展する素地が昔からあったことは容易に窺えます。

 

「天領」=「江戸幕府の直轄地」

(「大名を通さずに、幕府が直接、莫大な利益を安定して長期間にわたり得ることが出来る土地」)

という地位で、長年にわたり発展して来たようです。

 

「地位が上」であるはずの大名が、高利貸しや新田開発などで巨万の富を築き上げた豪商には「頭が上がらない」という例は、この日田以外でも耳にしたことのある話ですが、豊富な自然に由来するさまざまな産業が発展していたことで、統治する側の幕府も、産業で儲ける商人とは「持ちつ持たれつ」の関係だったのかも知れないですね。

 

 

 

さて、次の列車までわずかながら時間がありますが、街をゆっくり散策するような時間の余裕はないので、駅前を少し歩いてみます。

まさに「春の到来」を告げるような行事が行われているようで、当地では有名な行事のようで、ぜひ見てみたいのですがここは断念。

 

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。