みなさんこんにちは。前回からの続きです。
人気鉄道模型「鉄道コレクション 第25弾」を開封し、そのラインナップを細見して愉しむ、というこのシリーズを再開したいと思います。
よろしければ、どうぞ再びおつきあいください。

さて、ここまで三社・合計5車種を取り上げて来ました。
いよいよ、残すは関東大手私鉄の「京浜急行電鉄(京急電鉄)・京成電鉄」の2社の車両になった訳ですが、今日は、まず「京浜急行電鉄 1000形(旧800形)」の2車について取り上げたいと思います。
まったくの沿線外の人間ですので、誤りなどがありましたらご教示くだされば幸いです。

さっそく、自宅レイアウトへ入線させてみます。
少し傾斜のついた、大きな二枚窓が実に開放的です。
昭和30年代製造の車両ということですが、時代を感じさせられません。


繰り返しになりますが、この大きな正面二枚窓は実に開放的です。
この顔つきの車両、京急には他にも複数の形式で存在していたようです。

続いて、側面を観察してみます。客用扉は「1枚片開き」。
その扉を収納する戸袋(とぶくろ)の大きさに合わせてか、客用窓もそれと同じ、大きいサイズで揃えられているのも、実に開放的です。

よくよく観察しますと「特急」の種別板が差し込まれています。
正面には行先表示器が設けられているのですが、側面はこのように「板」で対応していたようです。

そして、こちらはパンタグラフがない「1096号車」。
やはりというか、それゆえに屋根上がすっきりとしています。

続いては、連結面を見てみます。丸みを帯びた妻面同士の連結部、ある種の「圧迫感」を感じさせないもののように思えます。



このさっぱりとした屋根!このような例は、見た記憶がないほどです!
非冷房車なので、クーラーが設けられていないという事情もあるのでしょうが、これほどすっぱりとしていると実に気持ちのいいものですし、デザイン的にも大変軽快な印象を強く受けます。

それにしても、同じ「1000形」でも、今回の商品とはだいぶ趣が異なるのが気になるところなのですが…

幼少の頃に買い与えられたもので、穴の空くほど幾度も読んだ、懐かしの本です(^^)

金沢検車区(横浜市金沢区)で並ぶ、当時の主力車両群のグラビアがありました。この図柄、幼心にとてもよく覚えているのですが、今回の「1000形(旧800形)」ともよく似た顔つきの車両も、幾つか見られるのですが、実はすべて別の形式(600形、400形)なのだとのこと。

さて、件の「1000形」の記載を見てみたいと思います。
「ミスター京急」という記載もありますが、昭和34(1959)年から、昭和53(1978)年までの長きにわたり、356両もの車両が、マイナーチェンジを重ねながら製造され続けて来たとのことで、京急では最大の車両群を誇っていたことも伺い知れます。繰り返しになりますが、沿線外のわたしなどにとっても「京急」といえば、この車両がパッと浮かぶほどです。


やはり、乗り入れ先の「都営浅草線」や「京成電鉄」などと、規格を揃えての登場だったようですが、後年には正面に貫通扉が取り付けられる改造がなされたようです。

車内はロングシート(窓に背を向けて座る、通勤電車仕様)。
先ほども触れましたが、車両間をつなぐ貫通路が幅広なので、車内は実に広々とした感じを受けます。
では、今回の「1000形(旧800形)」のモデルになった車両はというと…

その後にちゃんと掲載されていました。この車両です。

もともとは、商品名にもある、昭和33(1958)年から製造された「800形」という車両がこれら「1000形」の原型になった形式だったとのこと。
さまざまな車両データをこの形式の開発に提供したのち、この「800形」自体も「1000形」へと編入されたようです。

そのうちの「デハ801号車」。のちの「デハ1095号車」ということなので…

まさに、今回のモデルになったこの「1095号車」そのものでした!
その後、この「800形」から編入された車両も、正面顔が貫通式に改造されたと、書籍には記載がありました。それにはやはり「都営・京成線直通」という理由が大きいものだったようです。


ということで、簡単ではありましたが、この「旧800形」の出自について触れてみました。
昭和20~30年代、全国各地でこの「正面二枚窓」タイプの車両が大流行したのですが、その仲間のひとつであったこの車両、この時代の「華やかさ」や「流行」を垣間見られたような気がしますし、その「正面二枚窓」という車両デザインを例に取れば、都会や地方、鉄道会社といった垣根を越えて、それこそ「流行」のように大きくその影響が広がっていたというようなことは、もうこの先、そのようなことはないほどのことだったのかなとも感じた次第です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。