JR東日本 全線完乗への道!その81~大船渡線BRTで気仙沼から陸前高田・盛へ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
初夏の東北をひとり旅、宮城・岩手両県にまたがるJR線の未乗区間を乗り鉄した際の様子を、シリーズでお送りしています。

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宮城県の最北端、気仙沼から「JR大船渡線」に乗り込んでいます。

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とはいえ鉄道ではなく、震災で路線が被災したため、その代替えで運行されている「BRT(Bus Rail Transit、バス高速輸送システム)」の車中です。
かつての線路跡に設けられたBRT専用道を通り、気仙沼の市内を抜けて行きます。

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専用道から山深い一般道へ入ると、県境を越えて「岩手県陸前高田市」に入りました。東日本大震災が発生した際、連日のように報道されていたので、遠方のわたしでも、新聞やテレビなどで見聞したことのある地名です。

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震災から6年あまり。国道沿いをBRTから眺めていますと、被災した建物などがいまだ点在していることに、大変複雑な思いになります。
ほんとうに大変な災害だったのだなと、いまさらながら痛感する次第です。

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湾岸部を走っているようですが、これは道路でしょうか。復旧の工事も進められているようです。そんな中…

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BRTは、次はこの駅(停留所)に停まります。「奇跡の一本松」…

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幸いにも、駅の到着直前にその姿をちらと見ることが出来ました。
震災で10mもの大津波を受けたものの、この松の木だけは奇跡的に倒木せず、保存され当時の「生き証人」として、訪れる人が多いとのこと。

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松の下には、被災したユースホステルがそのままの姿で残されています。
こちらも「震災遺構」として保存をされているとのこと。
観光客らしき人たちが、数人ここで下車して行きました。

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再び、市内の内陸部に入って来ました。どうやら、市の中心部に近づいているようですが、車窓の両側を見ても、このように大規模な復興の工事の光景が広がっています。

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震災以前には、このあたりに鉄道が通っていたことが地図からわかるのですが…その痕跡はまったく確認出来ませんでした。

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市の中心部、「陸前高田駅」が近づいて来ました。

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車窓から市役所が見えました。仮設の建物です。

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市役所があるあたり、この周辺が市の中心部であることがわかるのですが、街の主要な機能や、住宅地などは、高台のこのあたりに集団的に移転して来たようです。

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陸前高田駅を出発。バスは、市街地の道をくねくねと、カーブを曲がりながら先へと進んで行きます。

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ところどころ「国道を作り直しています」「河川を造成しています」という工事の看板を目にするのですが、見るに、まったくあたらしい土地を、一から切り拓いているような感を受けます。

それほどの大津波の被害だったのか、このあたりにもとからあったものをすべて流してしまったのか…と、震災の被害をテレビや新聞だけで見ていた身としては、この光景を目にするに大変なショックを感じました。
経緯を鑑みるに胸が詰まるような思いにすらなります。

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あたらしい街の造成、そして復興が進む市内を抜け、さらに海岸沿いに北へと進みます。もうすぐ「大船渡湾」が見えて来るのですが…

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急な坂道の脇、続く松林の向こうに海がちらと見えて来ました。

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対岸の陸地が近いので、狭く、奥まった湾なのが車窓から伺えます。

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ここからは「大船渡市」の市街地に入って行きます。その入り口の「細浦駅(ほそうらえき、同)」。

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ここからは再び専用道に入ったようで、少し高い場所を走って行きます。
港湾部ならではというのか、まだあたらしい倉庫群の中です。

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あたらしく造成された大船渡の中心部を抜けたところ、気仙沼から1時間半ほどでこの「盛駅(さかりえき、同)」に到着。5分ほど遅れてでした。

次回に続きます。
今日はこんなところです。