なにわ筋線 実現へ前進!変貌するJR難波駅周辺の鉄路を巡る その6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先般、報道された大阪市内中心部を南北に貫く、関西空港への新路線「なにわ筋線」ついて、その拠点のひとつとなるとされる「JR難波駅」周辺の鉄路を中心に、あれこれと取り上げています。

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ところで昨日、午後9時前のNHKローカルニュース、「関西845」を見ておりますと…遅ればせながら?このニュースがあらためて流れていました。

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建設に当たって、府市の他にJR西日本や南海、そして路線の北端の「北梅田駅」から、淀川を渡った「十三(じゅうそう、大阪市淀川区)」からさらに新路線で接続する計画のある、阪急電車の名前も挙がっていました。

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肝心の「なにわ筋線」ですが、途中の「北梅田~西本町間」は「JR西日本・南海」の共同運行がなされ、以南はそれぞれの運行になるとのこと。
「なにわ筋線」は「関西空港へのアクセス改善が最大の目的」の路線です。

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先ほども触れましたが、「なにわ筋線」の北端、「北梅田駅」に接続する阪急の新路線についても、同時に計画が進められることになるようです。

画面右奥、赤い□で囲ったあたりが「十三」、手前が大阪・梅田駅周辺なのですが、十三駅は京都・神戸・宝塚方面への分岐駅となっている他、さらにこの駅から「新大阪駅」までの新路線計画もあり、新幹線と阪急沿線との連絡をも目論んでいるという、実に雄大な構想になりそうです。
どうも、いまの時点では想像もつかないような計画ですが…

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本題に戻りまして、ここは「南海汐見橋駅(しおみばしえき、同浪速区)」です。

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「JR難波駅」からでは、地図上は左、西方向へ一駅分歩いて来たことがわかります。

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「汐見橋駅(しおみばしえき、同)」は南海電車の小さな終着駅で、その名も「汐見橋線」という路線が乗り入れています。

前回の記事、最後でも触れたのですが、この「汐見橋駅」と「汐見橋線」、実は、これらは本題の「なにわ筋線」構想のひとつとして計画されていたというのです。今日は、その経緯についても取り上げて参りたいと思います。

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モルタルづくりの、小さな駅舎に入ると…これはいい雰囲気ですね。
明治33(1900)年に高野線(こうやせん)の前身、「高野鉄道」という会社が、その名も「道頓堀駅」として開業させたそうですが、一歩足を踏み入れるだけで、このレトロな感じがたまりません。

駅舎の竣工は昭和20年代初期、現在の姿への改築は、昭和31(1956)年に行われているとのこと。

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また、一日の乗降客数は600人弱を数えるほどだそうです。
大阪市内に、ついぞこのような駅が存在しているとは想像もつきません。

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列車は、終日約30分おきの運転がなされているようです。
錯覚しそうですが、博物館ではない現役の駅なので(笑)きちんと、関西空港・和歌山・高野山方面へのきっぷは発売されています。

では、ギャラリー風に駅構内を見て参りたいと思います。

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年季の入った温度計ですが…

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きちんと図れているようでした。現在18℃。

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改札越しに観察していますと、列車が入って来ました。
2両編成から、乗客がばらばらと改札を抜けて行きます。

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しかし、観察していて目に付くのが、この木製づくりの多さです。
それも、いずれも機能性に富んでいるというイメージです。

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ホームの終端部付近。階段ではなく、緩いスロープで改札へと向かうことの出来るという、終着駅ならではの構造です。どちらかというと、こういった構造の方が、いまよりよほど簡素でなおかつバリアフリーだなと感じます。

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線路の終端部。車止めは、ここまで延びていたレールを曲げたものという、最近では、地方などでしか目にすることの出来ないものでした。
繰り返しますが、間違いなく大阪市内の路線です。

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ホームへ上がって来ました。木製の屋根を支えるのも、古レールです。

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この路線は「汐見橋線」というのですが、もともとは、現在「なんば駅」に乗り入れている「南海高野線」として建設されたという経緯がありました。

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ただ、繁華街から外れたこの「汐見橋」へ直通する列車は早い時期にその数を減らし現在、高野線すべての列車は「なんば駅」へと乗り入れています。

ということで、この路線の正式な路線名称は「高野線」なのですが、「岸里玉出駅(きしのさとたまでえき、同西成区)」で運転形態が分離されているので、便宜上、先ほど述べたように「汐見橋線」と呼称されている、という訳です。

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こちらが、その「汐見橋線」の路線図(地図中紫色)。
「汐見橋駅」から南海本線・高野線と接続する「岸里玉出駅」まで、全長わずか4.6kmの小さな路線ですが、周辺に他社も含め、複数の鉄道網が巡らされているさまがわかります。

ところで、このローカルな「汐見橋線」、廃止をのがれ存続がなされている理由として「南海側からのなにわ筋線へのアクセスのひとつとして考えられていた」ということが、以前から言われていました。

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その周辺を拡大した地図を作ってみました。これを見て頂くと…
先般、報道されたのは、南海本線(地図中青色線)の「なんば駅」の手前で地下で分岐し「南海新難波駅」(仮称)を設置、その先でJR線(地図中銀色)と合流し、「北梅田駅」へ至る(地図中赤色線、という計画です。

ただその計画が浮上する前には、この「汐見橋線」(地図中紫色線)の「木津川駅」の手前で地下(地図中紫色点線)へ分岐、従来線に沿い「汐見橋駅」の北側で「なにわ筋」に入り、JR新線と合流するというのが、もともとの南海の「なにわ筋線」構想だったようです(すでに高架構造となっている「南海なんば駅」から地下への分岐=今回、発表された計画=は、すでにその周辺には地下街や地下鉄が建設されているため、建設が物理的に難しかったから…とされていた、という話も文献かで目にした記憶がありますが)。

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そのあたりを毎度おなじみ「Wikipedia #汐見橋駅」から拾ってみますと…

新大阪駅とJR難波駅・南海難波駅を結ぶ路線として計画中(2017年3月現在)のなにわ筋線は、当初の構想では南海については難波駅ではなく当駅に接続するとされていた。それによると、汐見橋線の木津川駅 - 当駅間が地下化され、当駅の北方で東に曲がってなにわ筋の地下へ至ることになっていた。難波接続との決定がなされたことにより、当駅のみならず汐見橋線自体の存続が危ぶまれている状況である。

ということで、いわば「離れ小島」的な性格を持つ、都心のローカル線「汐見橋線」を、上述のように「なにわ筋線との接続を目的に路線を存続させていた」という見解があるため、その「存続意義」という点で考察すると、今後、この路線の存続というのが、注視される局面になったことは相違ないようです。

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では、この「汐見橋駅」を、さらにいろいろ観察してみたいと思います。

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古レールを用いた、ホーム屋根の柱。それだけではなく、まるで時代に取り残されたような情景がまだまだ残っていました。

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このベンチ!もちろん木製で、背面のパチンコ屋さんの広告…
デザインだけでなく、その文言たるや、もはや「博物館級」ですね。

余談ですがこの電話番号、いまはどないかけたらええんやろう…ですね。

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こじんまりとしたホームに、また小柄な車両です。

もともとは、同じ高野線の厳しい山岳地帯を走っていた「ズームカー」という、ひとまわり車長の短い車両を再利用しているのだとのこと。
これも、このローカルな路線ならではという感じがします。

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ホーム先端部分へやって来ました。周辺を見渡すと、住宅や高速道路があったりするのですが、この駅、路線だけは時代を超越しているかのようです。

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次回に続きます。
今日はこんなところです。