JR東西線20周年 開業前夜を振り返る その1~京橋駅 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

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まずは、こちらの大阪市内とその近郊の地図をご覧頂きたいと思います。
兵庫県の東端、尼崎駅(あまがさきえき、兵庫県尼崎市)と京橋駅(きょうばしえき、大阪市都島区)との間、大阪市内の中心部を地下で結ぶJR東西線という路線について、今日からは取り上げたいと思います。

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JR東西線を経由し、京橋駅から学研都市線(がっけんとしせん)へと直通する普通列車。尼崎にて。

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路線距離自体は短いものの、西端の尼崎からはJR神戸線・JR宝塚線に、東端の京橋からは学研都市線とつながっており、この路線を介して広範囲に直通運転が行われているのが特徴という路線です。
大阪環状線の上半分を、東西に横切って路線が延びているのも特徴でしょうか。

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「JTB時刻表 1997年3月号」 特集ページ その1より。

今年の3月で、このJR東西線が開業20周年を迎えます。
実はこのJR東西線とつながっている、学研都市線はわたしの地元路線のひとつなのですが、その開業の際、こちらも実に大きな変貌を遂げました。

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「JTB時刻表 1994年3月号」 P30より。

「学研都市線」は「片町線(かたまちせん)」というのが現在も正式な路線名称で、終着駅だった片町駅(かたまちえき、大阪市都島区)がその由来なのですが、そのひとつ手前、京橋駅からJR東西線へと路線が切り替えられたために、明治以来の終着駅・片町駅は廃止されてしまいました。

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ところで、学研都市線を走っていた列車は、JR東西線の開業までほとんどすべての列車が線内のみの運転で、それも大阪市内へ向かう列車の行先は「片町」か「京橋」しかなかったのが、「西明石・宝塚・新三田・篠山口」…などという、大阪市内はおろか府県さえも超える、これまでとまったく異なる行先の列車が、それも一夜を境に多数走るようになりました。

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昭和63(1988)年3月改正、学研都市線・住道駅(すみのどうえき、大阪府大東市)のポケット時刻表、片町方面ゆきから。この改正から快速電車が下り(大阪方面)へ2本、上り(木津方面)へ1本、はじめて設定された。
列車の行先は、終着駅の片町とひとつ手前の京橋のみ。

多彩な行先の列車が走る!というのは、そういったことで当時、高校生だったわたしには大変衝撃的なものでした(逆にいうと、反対側のJR神戸・JR宝塚線からでは「放出・四条畷・松井山手・木津」などという、これまで見慣れぬ?行先の、学研都市線への列車が走るようにもなった訳ですが…)。

そういったことで今日からは、そのJR東西線開業を間近に控えた当時、撮影した写真と、先月撮影した写真とを比較しながら、その20年という経過と変遷についてあれこれ振り返りたいと思います。

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内容は、地元の学研都市線からの視点を中心としたものです。
つたない写真でお恥ずかしいのですが、ご容赦頂いて(笑)よろしければどうぞおつきあいください。 

四条畷駅(しじょうなわてえき、大阪府大東市)にて折り返す、JR東西線経由の普通西明石ゆき。広域にわたる直通運転ならではの運用。

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まず、やって来たのは東西線の東端、京橋駅です。

大阪環状線、京阪電車や地下鉄との乗換駅で、ほとんどの乗客がここで下車しまい、東西線開業前はさながら回送電車のように車内はガラガラで、列車は隣の片町駅へと向かっていました。

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現在の駅名標。東西線の開業とともに片町駅は廃止され、大阪城北詰駅(おおさかじょうきたづめえき、大阪市都島区)がその代わりを果たしています。

この駅については、後日項を設けてご紹介したいと思います。

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続いてはこの1番ホームです。
「片町行のりば」という案内が目につきます。この時はその案内通り、片町ゆきと京橋止まりの列車が来るのみでした。

先ほども触れたのですが、この駅でほとんどの乗客が下車してしまうので、ホームで列車を待つ人の姿を見ることはままなく、閑散としていました。

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現在の様子。いまは東西線がここから発車しているので、列車ごとに多くの乗降があり、当時の様子とかなり違っています。

では、ここからはギャラリー風にお送りしてみたいと思います。

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テナントは変わったものの、立ち食いそば屋とコンビニはいまだ健在です。

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このホームで特徴的だったのが、この行燈式の行先表示でした。
この写真では「片町行」となっていますが、その下には「京橋止」という表示が隠れていました。

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現在では、色鮮やかなLED表示になっています。行先も多種多様です。

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ホーム先頭部へ。ホームドアが設置されているのと、隣のホームとの間に壁が設けられているので、だいぶ様相が異なります。

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ここはあまり変わっていませんでした。
環状線、外回りホーム(鶴橋・天王寺・新今宮方面)の真下付近です。

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今度は、ホーム後方へと向かってみます。

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ホーム後方にやって来ました。

写真の日付けをみますと、東西線開業の1年ほど前で、さらに大阪では珍しく降雪があった日のようです。反対側、学研都市線上り(四条畷・松井山手・木津方面)ホームの延伸工事の様子を記録したかったようですが、これも東西線開業に関連してのものだったと記憶しています。

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マンションの位置が目印でしょうか。

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そこから反対側を向いたところ。左右に横切る環状線ホーム、そしてダイエー京橋店(現在のイオン京橋店)や東海銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の看板が目立ちます。これらすべては、京橋のランドマーク的な存在でした。

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現在はイオンに転換された看板が、ホーム屋根の隙間から辛うじて確認出来る状態でした。こちらも、大変な変貌を遂げています。

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最後に、ホーム先端部から上り方面を望んだところ。

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こちらでもホームが延伸されているのですが、踏切まわりの様子は思いのほか変わっていないように感じます。この先は、柵が設けられていて立ち入れませんでした。

では、このホームから東西線に乗車、次の大阪城北詰駅へと向かうことにします。東西線開業にともない廃止となった、片町駅に代わる存在の駅です。

次回に続きます。
今日はこんなところです。