ひまわり畑で夏を体感!in 兵庫県佐用町 その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
家族三人で「兵庫県佐用町(さようちょう)」を訪問した際の様子をシリーズでお送りしています。
街の中心部から少し北へ行った「平福(ひらふく)」という集落へやって来ました。

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「道の駅」や「宿場町跡」から少し進みますと、この立派な建物に出会いました。
白壁が特徴的なのですが、この建物はいったい何かといいますと…

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「平福駅(ひらふくえき)」でした。しかし、駅にしては大変立派なものですね。

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玄関に飾ってあったのが、この木製の駅名板。さながら高級旅館のようです。
では、駅の構内を細見してみたいと思います。

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このように立派なつくりに相反して、この「平福駅」は無人駅でした。
列車の発着時間から外れているからか、閑散とした待合所の様子です。

旅先でよく見かけるのですが、待合所に置かれている座布団の光景にはなんだかほっとさせられます。

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とはいえ、発車時刻表を見ますと、上下ともに列車の本数は多いように感じます。

実はこの「平福駅」の所属は「JR線」ではなく、京都・大阪・神戸方面から鳥取・倉吉方面への「陰陽連絡特急」が頻繁に走る「智頭急行(ちずきゅうこう)」という路線で、「特急 スーパーはくと」がその看板列車として知られています。
大阪駅でよく見かける列車なので、個人的にはなじみがあるものだったりします。

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さて、駅構内に入って来ました。意外にというか広い敷地のように感じます。

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列車が来ないホームを観察するのですが、灼けつくような陽射しに、蝉しぐれだけがどこまでも響く情景でした。いまさらながらですが、まさに「夏」という感を受けます。

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こちらにも「宿場町」の案内図がありました。
先ほど、宿場町跡で目にしたものと意匠がだいぶ違うので、そういった差異があるのも興味深いものです。

ここで、こちらの「平福」に関する記述を見つけましたので取り上げたいと思います。
先日までお送りしていた「JR北海道 全線完乗への道!」シリーズでもお世話になったシリーズ本、「各駅停車全国歴史散歩29 兵庫県」(神戸新聞社編・河出書房新社刊、昭和59年6月初版、絶版)」からです。

鉄は風土記の昔から 佐用

”花の平福”の盛衰
つい最近まで因幡街道の宿場町として”花の平福”とまで歌われた平福は、およそ四百年前の慶長年間(一五九六~一六一四)、姫路城に拠った池田輝政(いけだ・てるまさ、1565-1613。安土桃山期~江戸初期の武将・大名、姫路城を現在の姿に改築したことで知られる)の一族・池田由之(いけだ・よしゆき、1577-1618。同時期の武将、池田輝政は叔父に当たる)を藩主とする二万三千石の城下町として出発した。利神城(りかんじょう)の山ふところを流れる熊見川(佐用川)沿いに町が作られ、戸数はざっと三百。

ところが、岸和田藩(現在の大阪府岸和田市)から入った松平氏の分割支配となり、石高はわずか五百石。
この小さい身代では”ご城下”という訳にもいかず、平福は宿場町、商いの町へと転身。昭和の初め、姫新線(きしんせん、平福の南を走るJR線。姫路から岡山・津山や新見を結ぶ)が敷かれるまで因幡街道の宿場町として生き続けた。

鉄道から取り残されたため、花の平福のにぎわいは昔語りとなってしまったが、おかげで、宿場の町並みは、ほぼ無傷のまま。塗りごめの虫籠窓を持ち、日よけ用の目隠しを持つ商家群、熊見川に姿を映す土蔵と石垣が”古格”を漂わせている。
(出典同 P240)

もともとは「城下町」だったのですね。
文中にあった「利神城」というのは、駅の真裏にあった山城だったようです。

また「古い街並みが残っているゆえん」だという「鉄道が敷かれなかった」という史実も述べられていますが、この「智頭急行」が開業したのは「平成6(1994)年」でした。

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そんなこんなで20分ほどしてでしょうか、駅をあとにします。
別段、何をしたということでもないのですが、大阪ではなかなか体験することの出来ない「自然の中での盛夏」をたっぷりと感じることが出来ました。

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「道の駅ひらふく」へと戻って来たのですが…36度とは!どおりで暑いはずです(汗)

この後、みやげものを買いそろえていた終えた嫁、娘と合流。
待ちくたびれていたようでした('Д') 

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「わたしも少し休憩」ということで、こちらの名物の「こんにゃくソフト」(@350円)を売店で購入。この周辺では「こんにゃく」も名産だとのことで、味噌で炊いたものをソフトクリームに混ぜ込んでいるのだそうです。そういうことで、甘辛い味なのですがつぶつぶとした触感が心地よく、実にさっぱりとして美味でした。

さまざまな「ご当地ソフト」を最近、観光地などで目にするのですが個人的にはこれは売れると思ったりしました('ω')ノ 

甘さで一息ついたところで、いよいよ帰路に就きます。

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「佐用インター」から「中国自動車道」に乗り、最後の休憩地「加西(かさい)サービスエリア」(兵庫県加西市)」に到着。午後4時を少し回った頃で、陽が傾いて来ました。

娘が友人へのおみやげを買い忘れていたということで、ここで追加購入することになりました。お付き合いはなにかと大事ですからね(笑)

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わたしはフードコートの一角で待機。
少しく待つのですが、すこぶる冷房が効いているのでありがたかったです。

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買い物を待っている間、建物内をぶらぶらしていますと…

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ぼちぼち渋滞が始まって来たようです。

やはり「山陽道」や「舞鶴若狭道」が合流する「神戸ジャンクション」から東方向へですが、このように事前に交通の状況を把握することが出来ても、大阪・京都方面へ向かうとなるとこの先続いて「中国道」を通らざるを得ないので、ちょっとげんなりさえします。南下して海沿いの「阪神高速」で帰る、という手もあるのですが、結構な迂回になるので仕方なさそうですね。

「神戸ジャンクション」から西へ抜けるという「新名神高速道路」の開通が待ち遠しいところです。

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「加西サービスエリア」を出て30分ほど経ったところでしょうか、情報通り渋滞が始まりました。そうこう言うものの、やはり仕方ないですね。

このような状態で1時間ほど経過し…

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結局、「吹田インターチェンジ」(大阪府吹田市)に到達してもこのような感じ…
さらにここから分岐する「近畿自動車道」もその影響か、だだ混みでした(+o+)

都合、「佐用町」から帰宅まで4時間ほどかかりました…
わたしには田舎がないので「クルマで帰省する」という経験をしたことがないのですが、毎年、こういった渋滞の中で走っておられる方々の気持ちが少しわかった気がします。ほんとうにお疲れさまです…

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ところで、今回の「日帰り旅行」のメインは「ひまわり畑」でした。
これまでは普段「一輪のひまわり」しか目にしたことのなかった訳ですが、これほどの姿を目の当たりにして、まさに「迫力」という言葉しか出て来ませんでした。

「猛暑」である今年の夏でも、少しは秋の気配を感じるようになりましたが、厳しい陽射しを浴びながらも凛とする姿には、なにかしら「元気」を貰えたような気分になったとともに、そういった姿勢にいろいろと考えさせられた (笑) 実に雄大な「ひまわり畑」の訪問でした。いや、はるばる来てよかったです。

おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。