陶器の街「尾張瀬戸」をぶらり散策 その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。
「瀬戸物」発祥の地、「尾張瀬戸(おわりせと、愛知県瀬戸市)」を散策しています。

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その「瀬戸物」を中心とした「瀬戸の歴史」を幅広く取り上げている資料館、「瀬戸蔵ミュージアム」にやって来ました。こちらを観覧して行きたいと思います。

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入口を抜けますとさっそく「目玉展示」が鎮座していました。これは雰囲気あります。

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端々にレトロさを感じますが…
この「尾張瀬戸」に乗り入れている「名鉄瀬戸線」で実際に使用されていたという「モ750形」電車(モ=「モーター車」を示す記号)のカットボディでした。

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車内に入ってみます。「昭和3(1928)年」日本車両製の車両で、この「名鉄瀬戸線」では「昭和40~53年」まで使用されていたとの説明。

その後は他の路線に転用されたのですが、引退したのは「平成13(2001)年」だとのこと!

平成の世」まで現役だったとは…これは驚きです。

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車内には「木製の鎧戸」があったり…

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「座席仕切り」も木製です。

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そして、この「荷物棚のレトロなデザイン」などを見るにつけ、「つい15年ほど前まで現役だった」とは信じられません。

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運転台にも入ることが出来ました。

左側は「マスターコントローラー(マスコン、主幹制御器とも。自動車のアクセルに相当)」という器具なのですが、背の高さが目を引きます。
中央にある2つのメーターパネル右側は「ブレーキハンドル」なのですが、実に簡素な仕様です。「路面電車」の類では今日でも見かけることがあったりするものです(その右側は「ハンドブレーキ」です)。

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この「モ750形」が走っていた「名鉄瀬戸線」は、明治期に開業した路線として知られているそうですが、現在に至るまで「せとでん」という愛称で沿線住民から親しまれている電車です。

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現在では「通勤・通学路線」なのですが、もともとはご当地名産の「瀬戸焼」を全国に輸送するために建設された路線だとのこと。

「瀬戸物=重要な産業」だったことが伺えます。

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「レトロなたたずまい」にすっかり見入ってしまったのですが、新造された昭和初期の当時としては「最先端のハイカラな電車」だったのでしょうね。素晴らしいものを拝見することが出来ました。

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ところで、この「モ750形」電車が停車しているのは、実はここからほど近い「尾張瀬戸駅」を模したものだったようです。

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電車から少し離れてみますと、この「尾張瀬戸駅」の駅舎がありました。

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こちらも実際に使用されていた駅舎を再現したものだそうですが、内部にはたくさんの展示がなされていました。そちらも拝見してみたいと思います。

次回に続きます。
今日はこんなところです。