みなさんこんにちは。
今日は、先般に発売された「鉄道コレクション 第22弾」について取り上げたいと思います。
記述を読む限りではなかなかワイルドです。

「鉄道コレクション」とは、模型メーカー「トミーテック」が発売している人気鉄道模型シリーズです。
いわゆる「Nゲージ」(9mmゲージ)に準拠したもので、発売されている様態は「ディスプレイモデル」なのですが、別売りの動力や走行用車輪などに装換することにより、実際に模型線路で走行させることの出来る、というものです。
「発売の形態」としては
「一般発売」(市中の模型店などで発売されるもの)と、
「会社限定発売」(モデルとなった車種が走行していた鉄道会社のイベントなどでのみ発売されるもの)
の二つがあり、さらに「一般発売」においては
「オープンパッケージ」(会社・車種が明記されているもの)と、
「アソートパッケージ」(開封するまでどの車種かわからないもの)
の二つに分類されます
(今回取り上げるものは「一般発売・アソートパッケージ」商品)。

ということで、いわゆる「引いて楽しいおみくじ形式」のような「鉄道コレクション 第22弾」をさっそく購入して参りました。大人買いです(笑)
「全12種(シークレットが別に1種類)」なのですが、その中で個人的に気になる車種について、恒例の細見観察をしてみたいと思います。
まず取り上げたいのはそのうち、「江若鉄道(こうじゃくてつどう)キハ12」と「岡山臨海鐡道 キハ5001」の2車種です。
「江若鉄道」についてはこちらもどうぞ↓
当ブログ
大津市歴史博物館「江若鉄道の思い出」展を訪れて その1(2016年1月21日アップ)
http://blogs.yahoo.co.jp/rushdoor/36758990.html (8回のシリーズです)

こちらが「江若鉄道 キハ12」。
製造は「昭和12(1937)年」とのことで、世界的に流行していた「流線型」が車体デザインに採用されているのが最大の特徴でしょうか。

そして「岡山臨海鐡道 キハ5001」。
上記の「江若鉄道」が廃線(昭和44年)になった後、譲渡されたものです。
塗装は大きく変貌していますが、以外の諸元は基本的に同じ…という訳です。

そのようなこの「2車種」なのですが、「流線型」以外にも気になる点があります。
それがこの「特徴的な顔」です。
先ほど、この車両が「昭和12(1937)年製造」である、ということを述べたのですが、製造当時はこのような顔ではなかったそうです。
では、なぜこのような「別人のような顔になったのか」ということについて、毎度おなじみ「Wikipedia 江若鉄道C9形気動車(※注釈「C9」:この車両群に振られた江若鉄道独自の車両分類記号)」の項を見てみたいと思います。
この車両の「改造経歴」についてです。
…1950年代中盤に入ると(中略)出力アップに伴う排気管容量の不足が露呈したためか、浜大津寄り前面の左隅に床下から屋根上までカバー付きの排気管を立ち上げるという、いささか乱暴な改造工事が実施され(中略)流線型が大きく崩されることとなった。
記述を読む限りではなかなかワイルドです。
その後、1960年3月にキニ12が大鉄車輌工業で車体更新工事を実施され(中略)キハ12へ改番された。主な改造内容は、荷物室の撤去と側面窓配置の全面的な変更による等間隔配置化で(中略)側窓は上段Hゴム(※注釈「Hゴム」:窓の開閉の際に指をはさむなどの事故を防止する目的で取り付けられた、断面が「H」字様の窓枠用ゴム)固定、下段アルミサッシ上昇式となり、これに合わせて全面張り替えとなった外板はノーシル(※注釈「シル」:車体側面、横方向に設けられた補強材)・ノーヘッダー(※注釈「ヘッダー」:運転台上の屋根に設けられた滑り止め。いわゆる「いがぐり頭」のような様態になっていることが多い)の平滑な全溶接組立となった。
戦前の車両であったため車両の大規模な近代化更新が行われた、ということですね。ただし、このような記述が続きます。

もっとも、前面の左右上段(赤い○部分)と中央窓(下画像の青い○部分)を元のサイズより一回り小さい寸法でHゴム支持化した結果、「まるでアイスホッケーの面のような」などと形容される異様な前面形状となってしまい、お世辞にも美しいとは言い難い外観となってしまった…
その「改修工事の結果」が「この正面顔」だというのです。

左は、先般「会社限定発売」された「江若鉄道 キニ9」という同じ「鉄道コレクション」です(くだんの「キハ12」とは製造年が異なるのですが、外観は改造前の「キハ12」と類似しています)。
確かに、これはものすごい「劇的ビフォーアフター」のようにも感じます。
この「キニ9」についてはこちらもどうぞ↓
当ブログ
鉄道コレクション「江若鉄道キニ9・キハ14」が発売!(2016年1月20日アップ)
なかなかひどい言われようなので、さまざま調べてみたのですが、先ほどの「アイスホッケーの面」という表現はまだマシな方で、「宇宙人」だとか、「オバケ顔」などと評している文献もあったりして、結構な言われようやなあ…などと感じます。
ただこのように「近代化改造」が施されたことが幸いしてか、江若鉄道廃線後も「岡山」の地で第二の人生を送ることが出来た、ということなのかも知れません。

その後「江若鉄道 キハ12→岡山臨海鐡道 キハ5001」は「昭和55(1980)年」に廃車となりました。「数奇な運命」をたどった車両だったことには間違いなさそうです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。