みなさんこんにちは。
「昭和の雰囲気」が残る「葛飾柴又」を散策したのち、「京成高砂駅(けいせいたかさごえき、東京都葛飾区)」へ戻って来ました。

さて、「金町線」の列車を下車し、「京成本線」のコンコースに戻って来たのですが、行きの際気付かなかった、この「モニュメント」を発見しました。

「1911」という数字があしらわれていますが、これについては、手元の文献から拾ってみたいと思います。
…ところで、大正元(一九一二)年の開業時に、押上―柴又間で使用されたアメリカ合衆国のカーネギー鉄鋼会社製のレールの一部が、現在では高砂駅のホーム上の屋根の支柱として、余生を送っている。(中略)製造年とカーネギーの刻名が明りょうに読み取れる。上りホームの一隅には、「古レールの身上話」と題し、利用する乗客にその由来を語りかけている掲示が、駅員による筆書きのまま、その支柱に寄り添って掲げられているのも、ゆかしく感じられる。(後略)
古レールの身上話
皆様は私を初めて見たとお考えになるでしょうが、私は前から皆様を存じ上げております 私の細腰を御覧ください 英語で(CARNEGIE)と浮彫りされています通り 私は米国のカーネギー鉄鋼会社で一九一一年に生まれました
明治四十二年六月三十日に、京成電気軌道株式会社が創立されましたのにつれて30キロ10メートルレールし私は多くの友達と一緒にはるばる海を渡って日本へやって来ました 大正元年十一月三日(1912)押上―柴又間の開業以来四十四年の永い間皆様の御目にもかかれず レールとして使命を完了して参りました 今後は御覧の通り ホームの上家の柱として余命を捧げることになりました どうぞ末永く可愛がってください 昭和三十年五月
「民営鉄道の歴史がある景観Ⅱ」
(佐藤博之・浅香勝輔共著 古今書院刊 昭和63年7月初版 絶版 出典 P209)

「1911」、「CARNEGIE」の刻印がはっきりと確認出来ます。
「古レールが屋根支柱や柵などに転用される」というのは、実は別段、珍しいことではないのですが、転用される際に「刻印がつぶされる」、「他のレールと接合される」、「短く切り離される」ということが多く、これほど「はっきりと原型と刻印が残存しているもの」は、あまり見たことがありません。

「レールとして44年間、支柱として41年間働いて来た」ということですね。
まさに「縁の下の力持ち」、「会社創業期からの大切な社員」と言える存在なのではないでしょうか。

「古レール記念碑」から真反対側、つまりホームの「千葉方」へやって来ました。
「頭上の重層な高架」が一番の特徴だと思われますが、ここには先ほど乗車して来た「金町線」の線路、ホームとコンコース階があります。

規模の大きい踏切があり、自動車や歩行者が頻繁に通過して行きます。
この先、線路は右へ「京成本線」、「成田スカイアクセス線」、正面へ「高砂検車区」と、頭上には左へ「金町線」へと分かれて行きます。

午後2時を回ったところ、まだのんびりとした雰囲気です。

いったん、この駅から都心方面へ戻ることにしました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。