東北楽天・梨田新監督誕生~大阪近鉄バファローズ・藤井寺球場最終試合を回顧して~後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
長年、プロ野球「近鉄バファローズ」が本拠地として使用していた「藤井寺球場(ふじいでらきゅうじょう、大阪府藤井寺市)」での「最終試合」を観戦しています。

時は11年前、平成16(2004)年9月30日。
「大阪近鉄バファローズ 対 中日ドラゴンズ」の「ウェスタン・リーグ(二軍)」優勝決定戦が行われています。

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試合も、ついに9回裏へ。
両軍「打ち合い」の様相だったのですが、終盤から中日投手陣にゼロに抑えられる展開になりました。

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結果、「12対6」で「中日ドラゴンズ」が勝利、「ウェスタン・リーグ」の優勝を決め、宮崎で行われる「ファーム日本一決定戦」で、前年に、本拠地を移転したばかりの「北海道日本ハムファイターズ」と対戦することになりました。

そして、これは「近鉄パールス」から50有余年にわたって「パ・リーグの雄」として存在した、「大阪近鉄バファローズの公式試合がすべて終わった瞬間」でした。

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中日ナインのあいさつの後、大阪近鉄の二軍全選手がグラウンドに出て来ました。

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客席からは紙テープが投げ込まれ、大きな拍手が沸き起こります。

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そして、観客へのあいさつを終え、選手がダグアウトへと引き上げて行きました。
最後の「大阪近鉄戦士」の姿です。

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1塁側の内野席上段には、私設応援団の横断幕がいくつも貼られていました。
「いてまえ」は、「近鉄球団」の荒々しさを表現した「河内弁」です
(標準語では「やってしまえ」「片づけてしまえ」という言葉になりましょうか)。

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選手が引き上げたあとも、球場をあとにする観客は殆ど居ませんでした。

「ありがと、ありがと、ふじいでら…」
「ありがと、ありがと、バファローズ…」

そういったシュプレヒコールが、深まりつつある秋の空にいつまでも続いていました。

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9月の末でしたので、じりじりと陽が西へ傾いて行くのがわかります。
澄んだ空気の中、「去りゆく球団、選手」たちに、惜しみない声援が続いていました。

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朝日大阪朝刊(社会面) 平成16(2004)年10月1日付け。

その「藤井寺球場最終戦」、そして「大阪近鉄バファローズ最終試合」の様子が掲載されていました。
約5000人の観衆があったということで、これほどの集客は異例だったようです。

そして、このあと「大阪近鉄」は「オリックス」に吸収合併され、「新・オリックス球団」と、翌年から新規参入が決まった「東北楽天球団」に所属する選手を分ける「分配ドラフト」が行われ、「近鉄球団」は事実上、その時点で消滅しました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。