JR九州 全線完乗への道!その38 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗」を目指す旅、「第2日目」は「夕刻」になりました。

ついに「鹿児島県」へ到達した、というところですが、再度来た道を戻り、「宮崎県」に残る「未乗線区」、「吉都(きっと)線」に乗車しています。


「吉都線」の始発駅、「吉松駅」(鹿児島県姶良郡湧水町)を過ぎると、すぐに「宮崎県」へと入ります。




この辺り、この「吉都線」の愛称に「えびの高原線」という名前があるように、「高い山」などはあまり見られず、広々としたところをひた走ります。


「神秘的な」、とも言える「雨にけぶる風景」が続きます。癒やしですね(^o^)


「宮崎県南部」の「主要都市のひとつ」、「小林駅」(宮崎県小林市)に停車。
徐々に乗客が増えて来ました。

「あまりにも混雑し過ぎている列車に乗車する」のはあまり好きではないのですが、逆に「あまりにもがら空きな列車」だと「すこぶる寂しくなる」というわたしの「勝手な思い」があるので(笑)ようやく、ほっと一安心です。


続いては「高原(たかはる)駅」(宮崎県西諸県郡高原町、にしもろかたぐん・たかはるちょう)に到着。


ここは「神武天皇 生誕の地」として有名です。
このことは以前より知っていましたが・・・

では、この「高原駅」についても、毎度おなじみの
「各駅停車全国歴史散歩 宮崎県」
(宮崎日日新聞社編 河出書房新社刊 昭和59年初版 絶版)
から拾って行きたいと思います。

神話と伝説秘める天の逆鉾 高原
霊峰に登り雨ごい
 高原は、いたるところに神話、伝説にゆかりのある地がある。そもそも高原の町名も「高天原(※注釈:たかまがはら)」がなまったものらしい。
 霧島連山の最南端にそそり立つ霊峰高千穂峰(標高一五七四㍍)は天孫降臨を二分する県北の高千穂町と並び知られる。鹿児島県境に位置し、山頂部は高原町に入る。
 その神話を裏付ける代物が一つ。高千穂峰の頂上にある天の逆鉾(さかほこ)。天孫瓊瓊杵尊(※注釈:ニニギノミコト)が降臨した時の置き土産といわれ、鉾を逆さにして立っている。鼻の高い人面二個が上部に彫り込まれているのだ。不思議なことに鉾の材料は銅、鉄いずれでもなく、今なお分かっていない。
 逆鉾を動かすと雨が降る伝えがあり、戦前までは日照り続きで田畑に水が不足すると、太鼓や鉦を打ち鳴らしながら霊峰に登山し、雨ごいをした。息を切らしながら頂上にたどり着くと、はるか遠く雲の上に噴煙を吐く桜島が浮かんで見え、足元に御鉢(一四○○㍍)、新燃岳(一四二○㍍)など、おおらかな稜線が続く。天の逆鉾を見るために、坂本龍馬も恋人おりょうと一緒に登山をしたという。寺田屋事件後の慶応二年(一八六六)、西郷隆盛の勧めで薩摩へ身を寄せていた時のことだ。

神武天皇の生誕地
 高千穂峰を下山すると、登山口近くに神武天皇生誕地と伝える皇子原(おうじばる)。ここに産湯石(うべし)といって聖地を記す石が残っている。『日本書記』にもはっきり。神武天皇は幼名を狭野尊(ササノミコト)といい、その神武天皇をまつっているのが狭野神社。(後略)
(出典同 P168)

なるほど…
あの「高天原」がそのまま「高原(たかはる)町」の名前になったのですか…
これは「神話そのもの」、と言いますか、不思議な「伝説」も数あるようで、実に「驚嘆」でもありますし、「日本創世の地」という「聖地」ならでは、と言うところでしょうか。

調べていますと、「はあ…すごいなあ」と、ただただ感嘆しきりです。

また、ここ「高原町」は、最近では「日本で最も美しい村連合」という組織にも加盟しているそうです。
はじめて聞いた「組織名」なのですが、「九州」では現在、11自治体が加盟しているとのこと。

そして、気になるその「加盟条件」なのですが・・・

  1. 直近の国勢調査人口が、概ね1万人以下であること。
  2. 次に定める地域資源が2つ以上あること。
    1. 景観(生活の営みにより作られた景観をいう)
    2. 環境(豊かな自然や自然を活かした町や村の環境をいう)
    3. 文化(昔ながらの祭りや郷土文化、建築物等をいう)
  3. 連合が評価する地域資源を活かす活動があること。
    1. 美しい景観に配慮したまちづくりを行っていること。
    2. 住民による工夫した地域活動を行っていること。
    3. 地域特有の工芸品や生活様式を頑なに守っていること。

なのだそうです。
「ただ、景観や名所があるだけ」というのではなく、「古くからの伝統工芸」や「地域活動」なども参酌されての「条件」があるようです。これは興味深いですね。

(参考)↓
「日本で最も美しい村連合」公式ホームページ


ここで、「反対行き」の「列車待ち」です。



もうまもなく「日暮れ」ですね。


そして、「日暮れ」とほぼ時を同じくして、列車は終着の「都城駅」(宮崎県都城市)に到着しました。


いや、今日は「いろいろな経験」をすることが出来、実に「収穫の多い一日」でした。


「宵の口」の「都城駅構内」。閑散としています。


ここで改札を出ます。
この「都城駅」は、「日豊本線」と先ほどまで乗車してきた「吉都線」との接続駅です。


さて、この時点で、「至近の未乗区間」は「日豊本線」の「都城~鹿児島中央」間です。
改札前の「発車案内」を見てみますと、「鹿児島方面」への「特急列車」はまだありますので、「鹿児島への日着」は可能なのですが、もう既に「夜」になってしまいました。

別段急ぐ旅でもないですし、また、陽のある時間に景色を愉しみたいので、「鹿児島」へは「明日」に旅つことにしました。


ということで、「第2日目」はここ、「都城駅」で「打ち止め」!


今晩、お世話になるのは「駅前から徒歩1分」、すこぶる便利な立地の「サンホテル 都城」さんです。
時刻は「午後7時」を過ぎた頃、まずはホテルに荷物を置いて「夕食」です。


この「サンホテル」さん、なかなかおもしろいことをされていました。それがこちら。
「エレベーターホール前」におもむろに貼られていた、この「クエスチョン」なるもの。


「心理テスト」のようです。
よろしければ、みなさまもぜひお試しください(^o^)


結果ですが・・・




だそうです。
ちなみにわたしは「ウマ」を連想しましたので、「すけべ」なのだそうです(笑)


さて、「夕食」ですが、「駅前」に「イオンモール」の看板を見つけたのでひとまずそちらへ向かってみます。ホテル、もとい駅前からは「徒歩で15分ほど」でしょうか。


ですが、ここは「イオンモール」?「ダイエー」?
確か、「ダイエー」は「イオン傘下になった」、というのは知っているのですが・・・

実際は、「スーパー部門」が「ダイエー」、その他の「専門店街」が「イオンモール」でした。が、なんだか不思議な気分ですね。


さて、件の「夕食」です。
「ダイエー」で「宮崎名物」の「地鶏の黒焼き」があったので、これとビールを購入してホテルで食しました。
「昨日と同じパターン」ですが、「食費」はお店屋さんに入るよりはこの方がお安い。

しかし、「真空パック」の「地鶏」ですが、これがまた「油がのっていて、実にビールに合う」!大変おいしかったです。
「専門店」や「居酒屋」などに入らなくても、これほどおいしければそれでもう満足です(笑)


食後に一服していると、テレビでは「天気予報」が始まりました。
今日、ここまで乗車して来た「人吉」(熊本県人吉市)では「最低気温1℃」、ここ「都城」は「3℃」・・・


「最高気温」は「人吉」では「6℃」、「都城」では「9℃」だとのこと。
どおりで、ひやっとしたはずです(この季節でも「寒い部類」なのだとのこと)。

さて、今日、「3月3日」の「乗車記録」です。
①大分 08:10発→人吉 12:50着 特急「九州横断特急」1号 人吉ゆき
②人吉 13:21発→吉松 14:47着 普通「いさぶろう」3号 吉松ゆき
③吉松 15:03発→隼人 15:57着 特急「はやとの風」5号 鹿児島中央ゆき
④隼人 16:12発→都城 18:53着 普通 吉松経由都城ゆき


「地図」では以上のような経路でした(「橙色」が「今日、乗車した未乗線区」です)。

(未乗線区の乗車経過)
「豊肥本線」
大分→熊本間 148.0㌔
「肥薩線」
八代→隼人間 124.2㌔
「吉松線」
吉松→都城間 61.6㌔

合計 333.8km

あれほど乗車したのに、列車はたった「4本だけの乗車」だったのですね。ただ、「中身の濃い」ものだった、と言える1日でした。

明日はいよいよ「最終日」、「第3日目」です。
目標の「JR九州 全線完乗」は果たして「成就」するのか!?どうぞご期待ください。

では、これにて「第2日目」終了!

次回に続きます。
今日はこんなところです。