今日はブログ開設当初にご紹介した、私が応援している「松阪晶子さん」との出会い、また、私の精神的ないしずえとなっている晶子さんの楽曲についての話題です。
経歴についてはwikiを貼ります↓
それは今を去ること10云年前、私が高校生の時でした。
テレビを何気なく見ているとあるCMが流れておりました。
それは、当時頻繁に放映されていた「銀座ジュエリーマキ」のCMでした。
ジュエリーなど今も昔も、縁もゆかりもないのですが (笑)、CMのバックで流れている音楽に、いままで感じたことのない「高揚感」というか(サビがアップテンポなので余計に)何かを揺さぶられるような(表現が不穏当かも知れませんが、「鈍器で頭を殴られたような」)衝撃を受け、その場で画面にくぎづけになりました。
「誰が歌っているねんやろう」とあわてて画面のクレジットを確認したのが、「今日まで至る晶子さんとの衝撃の出会い」でした。
このCMで使われていた「燃える瞳を持ち続けて」という曲は、「松阪晶子」というアーティストの実に「強烈な個性」と「躍動」、そして「華々しい存在感」とを放つ象徴であり、かつ「その存在が権化したもの」だと私は思っています。
松阪晶子さんの4番目のシングルとしてリリースされたこの曲は、松阪晶子「最大のヒット曲」、かつ「代表曲」となりました。


当時、行きつけ(高校生だったのに小生意気ですね)だったレコード店に頼み込んで、貰った「販売促進用のポップ」と、「ファーストアルバムのリリース告知ポスター」です。
著作権の問題やらがあると思いますので、Yahoo!Music から、この楽曲の歌詞を貼ります。
ちまたで言う「元気ソング」に分類されてしまえばそれまでなのかも知れませんが「表現しがたいエネルギーを、実に地に足がついたストレートな表現で表わしている」ように思っています。
ちょうどその当時(学生時代)、わたしは楽しいと思えることがなく、閉塞な毎日を過ごしていました。
そういう時にこの楽曲に出会った、というのもありますが「伝説を(自分で)つくり出す」とか、「真実から逃げ出したりしないで(不器用でも生きていけ)」というくだりには、「ああ、こんな自分でも、ありのまま、飾らずに生きて行けばいいのだ」と言われたようで、涙が出るほどの見えない「力」を与えられたのを覚えています。

この曲が収録されている晶子さんのファーストアルバム「夢を眠らせない」(1994年6月リリース)のジャケット画像です。
各曲には、それぞれこのアルバムのキーワードである「夢」という要素が存在しています。
その各楽曲の「夢(寝て見る夢ではありません)」についての、個人的な感想です。
自分の抱いた「夢」が人から見たらはかないものであろうと、信念を貫きたい、という意思(収録曲、「まっすぐに」)
自分の弱い一面をさらけ出しても(「DAKE-DO」、「満月」)
つらい、苦しいながら精いっぱい生きていても(「夢を眠らせない」)
その中での自分の葛藤とか、挫折からなんとかはいだそうと、もがき、何かの「信念」や「夢を抱くこと」の意味が分かり始めたとき
(「いつもと違う朝」、「燃える瞳を持ち続けて」)
達成感や何かの手ごたえを感じたとき(「Dreamin'」)
気持ちを「シェア出来る」存在が出来たときの心境(「Darlin'」)…
「人間」と言ってものの「弱さ」、そしてさまざまな試練から得られる、ある種、一つの結論としての「不器用な自分だけれど、一生懸命生きている。そういう自分を誇りに思い、ありのまま生きていこう」(このブログのテーマにもさせてもらっています)という気持ちを率直に表現した、聴いた後に「達成感」のある「粒ぞろいの曲」ばかりだと思います。
(また、当ブログのテーマ「ありのまま生きてこう 自分を磨きながら」の下の「ひとことメッセージ」は、晶子さんの楽曲の歌詞から定期的にチョイスさせて頂いています。)
前回にも触れましたが、私にとっては「人生の教科書」的な存在であり、苦しいとき、しんどい時にはただちに逃げ込める態勢になっています(笑)
「わたしの半分以上」は、おそらく「松阪晶子さんの楽曲の精神から出来ている」、また、この人、そしてこの人の楽曲に出会っていなければ、きっと「いまの自分はない」と思うくらいの方です。
もちろんこれで晶子さんが「達成」したわけではありません(笑)
松阪晶子さんは現在の活動休止に至るまで3枚のアルバムをリリースしていますが、それぞれのアルバムで全く違うテーマを描いています。
次回などにそれから以降の楽曲紹介なども出来ればと思います。
今日はこんなところです。