いまも

あの子が入院していた病院を見るたびに

あの辺りの窓のところに

 

まだ居るような錯覚をして...

 

夫が単身赴任先から戻ってくる週末になると

面会間に合うかな?とつい考えてしまったり..

 

あの子にまた会えるような気がして。

 

 

 

「あの子のどの頃を思い出す?」と

しょっちゅう写真を見ては眼を細める夫、

夫は"可愛く笑っていた時のあの子"が

一番印象に残っているようだけど..

 

 

私はいまだに

 

あの日の朝、息も絶え絶えで

体温が落ちてきて..冷たくなっていくあの子の体と

 

モルヒネでぼんやりしているせいか..

意外にも本人は苦しそうでもなく..

 

看護師さんや先生たちが忙しく走り回るざわめきの中

心電図モニターが0近づいていく恐怖。

自分の無力感しか感じない

あの別れの瞬間..が脳裏から離れない。

 

遠方の夫が着くまでの間、

なんども強心剤やらアドレナリンやら..延命の薬を追加されたのは

弱った体に鞭を打つようで。辛さはなかったのか..

..そのことを想像すると辛い。 

 

息をしなくなったあの子は

次の瞬間から不思議なくらい物になってしまったような

変な感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

今までも、何度となく

「もうこのまま助けられないかもしれない」と

ドクターから振り絞るような声で伝えられた。

その度に耐え難い気持ちになったけど

 

 

あの子、何気に強くて。

 

上海から長時間かけて搬送した時も..

肺炎が悪化した時も..

ノロに感染した時も..

窒息して心臓が18分止まっちゃった時も...

低酸素脳症になった後、喀血が止まらなかった時も...

 

だから最後もなんとか..乗り切ってくれるって

信じてたんだよね。。

 

 

 

ICUに戻ってくる度に看護師さん達に言われたのが

「何かしたいことはないですか?」

つまり"最期"にやり残したことはないかと。

 

それを言われるたびに

胸がえぐられる思いだった。

この子が心臓移植を受けるのは完全に高望みだと

内心わかっていたからかもしれない。

 

 

あの子の体に負担をかけたくなかったし

一緒に居られるだけで幸せだったから

むしろ何もしたくなかった。

 

多分許されなかったと思うけど..

コロナ対策のマスクを取って

思いっきり頬ずりしたかった。

 

image