にーたがいじめ?られている???

 

みたいな、

 

 

よくわからない状況に翻弄されたこの1週間。

 

親同士の風通しのよさが幸いして

 

結果的に今日、大変楽しめた一日。(仲良し4家族で近場の動物園行った)

 

 

本当に人って人それぞれ。

 

まだ1年生の幼い子供たちにもそれぞれの個性がある、ありまくる。

 

むしろ子供だからその個性が目立ちすぎるのか?

 

にーたは悲しみがすき。そして感受性が高く、傷つきやすい。

気付きやすくて、注目をあびたくて、負けん気が強い。

 

言葉がきつい子

周りに合わせる子

優位に立ちたい子

仕切りたい子

すぐに調子に乗っちゃう子

 

なんかいろーんな場面をみたなー。

 

 

結局、やっぱり私の中では

 

それはいじめではない。

 

と感じたなぁ。

 

いじめごっこで遊んだりもした、ぐらいか?

 

大人からみたら悪趣味な遊び方って感じ。

 

いろんなものをみて

何かのまねをしようとしてみたりもするし、

それが楽しいし、

とんでもないような言葉をつかってみることが楽しいお年頃だったりもするのか。

 

悪趣味な遊び方はやめましょう、ということ。

 

それとは別に、

にーたの傷つきやすさと気付いてしまう性質について

それはどうしようもできないこと。

傷ついてもいいし、

気付いてもいい。気付いて悲しくなってもいい。

この世の中をどんな風にみてもいい。

ただ、にーたなりに見たあとが大切。

見て感じたあと、

その感じたことをどうやって糧にしていくか。

そこを手助けできるように私はにーたのそばについていたい。

 

にーたにも、もんちゃんにも

 

この世界を思いっきり感じておいで。

お母さんがちゃんとここにいてみてるから、安心して感じておいで!

 

ということをまずは伝え続けていきたい。

 

そして、二人がどんなことを感じたのか教えてくれたときには

そこから楽に心地よく居るための思考の導きができるといいな。

 

 

何を感じてもいい。

私も、にーたももんちゃんも、ポジ夫も。

この世に存在するだれもが、

何を感じてもいい。感じる内容に良いも悪いもない。

ここが大前提。

感じられることがこの世に生きているということ。

 

感じていいんだよ、ということ。

悲しいもさみしいもつらいも

嬉しいも楽しいも

言葉にできないような感情も

全部感じてよいことを伝えていこう。そうだそうだ。

 

ちゃんとここで抱きとめるから子供たちにはたくさん経験をしてほしい。