2010年9月
セカンドオピニオンが終わり、主治医の先生にもその結果が届いたとのこと
それまで主治医の先生からは、MRIの画像上、進行が認められない為、すぐにでも退院して通院治療をと勧められていたが、Kの病状の悪化による不安を抱えて受けたセカンドオピニオンの結果から、私たちは放射線治療に覚悟して挑む気持ちが固まっていた
この時点でのKの状態は、無気力で、携帯にもマンガにも興味を示さず、ウトウトする時間が増え、はっきりした意識を保てず、それでも大量のステロイドの副作用による異常な食欲で「お腹が空き過ぎて痛い…」というメールが頻繁にくるほどだった
病院で一緒にご飯を食べていて、私が電話で少し席を外して戻って来たら、私のおかずが忽然と無くなっていたこともあった
笑いながらKに確かめると、自分じゃないとあどけない顔で言い張った
しらばっくれているのか、本当に食べたことを覚えていないのかは分からなかった
まるで幼い子どもか認知症のお年寄りのようだった
朝5時くらいに、
「これからリハビリ行ってくる」と言うので、
「まだ朝早いし、今日はリハビリない日でしょ?」と返事すると、
「うん、そうだった」とK
「もう少し眠る?」と聞くと、
「でも、今からリハビリ行くから」と…
このやり取りをその後ももう一度繰り返した
外泊の日になり、仕事も学校も休みなので、旦那と娘を連れて病室にやって来た
病室のベッドで一人ポツンとしていたKはすごく嬉しそうな顔をした
「ママ、ムギューして~」と言われ、ムギューすると、私の背中に手を回し、背中をナデナデしてくれた
「Kくん、心配なの?」と聞くと、
「違う。ママ大好きだよ~」と言ってくれた
自宅に着くと、旦那の弟ちゃんが遊びに来てくれ、珍しくゲームで遊んだ
笑顔も見られ、言葉も普段より多く、受け答えがしっかりしていたが、しゃべる時に太りすぎのせいなのか呼吸がとても苦しそうなのが見ていて辛かった
娘が私に甘えて「ママ、マッサージして」と言うので、
「ママだって疲れてるんだから、こっちがやって欲しいくらいだよ」とつい言ってしまったら、
Kは「Kくんがママにマッサージしてあげるよ~」とニコニコして言ってくれた
本当に人を気遣う優しい子だった
私が気を遣わせるように仕向けてしまっていたのかもしれないけれど
トイレでウンチが出来ることもあったが、ほとんどは教えず、オムツの中にしていた
リハビリから帰って来たら、オムツにしていたこともあり、気持ち悪いのを我慢していたんだと思うとかわいそうだった
オセロをやったらルールが理解できず、置けないところに置いたり、ひっくり返せるところを放置したりだった
病気になる前は、成績優秀でオセロも一番強かったのに
先生との今後の治療について、病棟の一室で話し合いがもたれた
主治医の先生方二人と私達夫婦で
セカンドオピニオンの後に撮ったMRIの結果は、ほとんど変化は無かったが、一部に腫瘍の範囲が広がったように見える部分があった
画像上のことで言うなら、狭くなっていれば薬の効果に期待するが、これでは効果に確信が持てないということになる
症状においては、ものを考える力、記憶の問題などから、良くなったとは言えない
体を動かす力は、一人でトイレにも行けないことを考えると、悪くなったと考えるしかない
現状では薬が効いているという確信が持てず、このまま化学療法を続けて、三回目に良くなるとはとても言えない
せめて変化がないときに、このまま続けると考えられる
どこが良くなったとは言えないまでも、ある程度、少なくとも悪くならないということがこの治療を続ける最低の条件
薬だけでやるにはもう無理がある
今、ここで薬にこだわって、このまま続けるとは言えない状況
今後の治療の目標をどこに据えてやっていくかということがある
放射線による症状の変化には色々なパターンがある
症状が良くなるかは、少なくとも化学療法単独よりは確実
どこまで良くなるか、どれだけ良い状態が続くかは分からない
どんどん良くなって、好ましい状態が続く時、照射の影響-高次機能障害が心配になる
認知機能や精神機能に対するダメージ
線量にしても、何を優先して治療するのか
すっかり治ることを期待し脳が耐えられるギリギリの量を照てるのか、症状の改善を期待し近い未来のところで留めるのか
命を優先するなら、手強いと覚悟し、確実に病気の勢いを抑える線量にする
その場合、放射線治療は50グレイの全脳照射になる
一日2グレイずつ週5日×5回
放射線は化学療法と同時で効果が高まる
骨髄抑制があると化学療法を続けられない
照射による脳の浮腫で、嘔吐が激しくなる為、予防の薬を飲むことに
放射線は皮膚が赤くなり、日焼けがひどくなったような火傷のような状態になる
髪の毛も抜けてしまう
時間が経っても完全に元通りにはならなく、髪の毛はまばらな状態になる
病児にはボランティアでアデランスがカツラを提供してくれる
詳しく知りたい場合は紹介する
放射線治療に挑むと決めた場合は、詳しいことを他の先生方とも相談してから実施することに
私は先生の話を聞きながら、急に現実味を帯びてきた放射線治療に対する恐怖心で一杯になり、たじろいでしまった
最初の固い決意も揺らいだ
息子の脳に重いダメージを与える
治療の為とは言え、正常な細胞も機能不全にしてしまう
頭が良かったKなのに
一度やったらもう元通りにはならない
照射の開始は、化学療法三回目の結果を見てからでも遅くはないのではないかと気持ちが揺れ始めた
私はまだまだ甘かったのかもしれない
辛すぎる選択から、一時でも目をそらし、逃げようとしていたのかもしれない
生きるか死ぬか
大切な息子の命の選択
でも旦那は、もうやるしかない、手遅れになったら取り返しがつかないと、先生の話を聞いた後でも、最初の断固とした決意を一向に崩さなかった
とうとう私も覚悟を決めて旦那の意見に同意し、息子の放射線治療をお願いすることが決定した
病院側ではすぐに準備にかかるが、決めてから実際の開始まではどんなに早くても2週間かかると言われた
その後、放射線科の先生と面談した
重苦しい雰囲気は一切なく、まるで風邪か何か軽い病気の治療のように淡々とした説明に返って違和感を感じた
動かないよう固定する為マスクを作ることや、脳の位置を計り、量を加減する為CT撮影して、それを元にデータを作り、計算すること、放射線治療後の皮膚のケアや障害についての説明を受けた
主治医の先生からは、もう髪は元通りにはならないと聞いていることや、身長が伸びなくなることを一応確認したら、まるで明日の天気は晴れですよとでも言うように、時間はかかるが髪は元通りになるとあっさりと言われた
身長もこの治療には関係なく今まで通り伸びると言われ、拍子抜けしてしまった
多分、先生は息子がそれまでは生きられないと分かっていて、親である私の、先生からしたら無駄な心配を少しでも軽くしようと、敢えてそう言ったのだと思う
実際、先生のその言葉で私が少しホッとしたのも確かだった
Kには放射線治療の説明を私からして、それが終わるまで入院が長引くこと、院内学級に入るため、転校手続きをしなければならないことなどを伝えた
入学してすぐに病気になってしまい、ほとんど通えなかった中学校には、あまり思い入れはなさそうで、幼稚園や小学校の地元の友達との関係があれば、在籍する学校はどこでも関係ないといった割りきった様子が頼もしかった
地元の友達との関係がしっかりと築けていたことが本当に有難かった
入院が長引くことに対しては、「え~」と残念そうだったが、放射線治療は病気が分かった当初から話してあったことなので、特に驚きもせず、髪の毛が抜けたり、頭の皮膚が日焼けのひどくなったように少しひりひりするとか、吐き気が強くなる為、抑える薬を飲むなど、具体的なことの説明に対しても特に何も言わず、「それ終わったらウチに帰れるんでしょ?」と確認しただけだった
私は「そうだよ!」と頷いて、「頑張って病気をやっつけてお家に帰ろう」と言った
セカンドオピニオンが終わり、主治医の先生にもその結果が届いたとのこと
それまで主治医の先生からは、MRIの画像上、進行が認められない為、すぐにでも退院して通院治療をと勧められていたが、Kの病状の悪化による不安を抱えて受けたセカンドオピニオンの結果から、私たちは放射線治療に覚悟して挑む気持ちが固まっていた
この時点でのKの状態は、無気力で、携帯にもマンガにも興味を示さず、ウトウトする時間が増え、はっきりした意識を保てず、それでも大量のステロイドの副作用による異常な食欲で「お腹が空き過ぎて痛い…」というメールが頻繁にくるほどだった
病院で一緒にご飯を食べていて、私が電話で少し席を外して戻って来たら、私のおかずが忽然と無くなっていたこともあった
笑いながらKに確かめると、自分じゃないとあどけない顔で言い張った
しらばっくれているのか、本当に食べたことを覚えていないのかは分からなかった
まるで幼い子どもか認知症のお年寄りのようだった
朝5時くらいに、
「これからリハビリ行ってくる」と言うので、
「まだ朝早いし、今日はリハビリない日でしょ?」と返事すると、
「うん、そうだった」とK
「もう少し眠る?」と聞くと、
「でも、今からリハビリ行くから」と…
このやり取りをその後ももう一度繰り返した
外泊の日になり、仕事も学校も休みなので、旦那と娘を連れて病室にやって来た
病室のベッドで一人ポツンとしていたKはすごく嬉しそうな顔をした
「ママ、ムギューして~」と言われ、ムギューすると、私の背中に手を回し、背中をナデナデしてくれた
「Kくん、心配なの?」と聞くと、
「違う。ママ大好きだよ~」と言ってくれた
自宅に着くと、旦那の弟ちゃんが遊びに来てくれ、珍しくゲームで遊んだ
笑顔も見られ、言葉も普段より多く、受け答えがしっかりしていたが、しゃべる時に太りすぎのせいなのか呼吸がとても苦しそうなのが見ていて辛かった
娘が私に甘えて「ママ、マッサージして」と言うので、
「ママだって疲れてるんだから、こっちがやって欲しいくらいだよ」とつい言ってしまったら、
Kは「Kくんがママにマッサージしてあげるよ~」とニコニコして言ってくれた
本当に人を気遣う優しい子だった
私が気を遣わせるように仕向けてしまっていたのかもしれないけれど
トイレでウンチが出来ることもあったが、ほとんどは教えず、オムツの中にしていた
リハビリから帰って来たら、オムツにしていたこともあり、気持ち悪いのを我慢していたんだと思うとかわいそうだった
オセロをやったらルールが理解できず、置けないところに置いたり、ひっくり返せるところを放置したりだった
病気になる前は、成績優秀でオセロも一番強かったのに
先生との今後の治療について、病棟の一室で話し合いがもたれた
主治医の先生方二人と私達夫婦で
セカンドオピニオンの後に撮ったMRIの結果は、ほとんど変化は無かったが、一部に腫瘍の範囲が広がったように見える部分があった
画像上のことで言うなら、狭くなっていれば薬の効果に期待するが、これでは効果に確信が持てないということになる
症状においては、ものを考える力、記憶の問題などから、良くなったとは言えない
体を動かす力は、一人でトイレにも行けないことを考えると、悪くなったと考えるしかない
現状では薬が効いているという確信が持てず、このまま化学療法を続けて、三回目に良くなるとはとても言えない
せめて変化がないときに、このまま続けると考えられる
どこが良くなったとは言えないまでも、ある程度、少なくとも悪くならないということがこの治療を続ける最低の条件
薬だけでやるにはもう無理がある
今、ここで薬にこだわって、このまま続けるとは言えない状況
今後の治療の目標をどこに据えてやっていくかということがある
放射線による症状の変化には色々なパターンがある
症状が良くなるかは、少なくとも化学療法単独よりは確実
どこまで良くなるか、どれだけ良い状態が続くかは分からない
どんどん良くなって、好ましい状態が続く時、照射の影響-高次機能障害が心配になる
認知機能や精神機能に対するダメージ
線量にしても、何を優先して治療するのか
すっかり治ることを期待し脳が耐えられるギリギリの量を照てるのか、症状の改善を期待し近い未来のところで留めるのか
命を優先するなら、手強いと覚悟し、確実に病気の勢いを抑える線量にする
その場合、放射線治療は50グレイの全脳照射になる
一日2グレイずつ週5日×5回
放射線は化学療法と同時で効果が高まる
骨髄抑制があると化学療法を続けられない
照射による脳の浮腫で、嘔吐が激しくなる為、予防の薬を飲むことに
放射線は皮膚が赤くなり、日焼けがひどくなったような火傷のような状態になる
髪の毛も抜けてしまう
時間が経っても完全に元通りにはならなく、髪の毛はまばらな状態になる
病児にはボランティアでアデランスがカツラを提供してくれる
詳しく知りたい場合は紹介する
放射線治療に挑むと決めた場合は、詳しいことを他の先生方とも相談してから実施することに
私は先生の話を聞きながら、急に現実味を帯びてきた放射線治療に対する恐怖心で一杯になり、たじろいでしまった
最初の固い決意も揺らいだ
息子の脳に重いダメージを与える
治療の為とは言え、正常な細胞も機能不全にしてしまう
頭が良かったKなのに
一度やったらもう元通りにはならない
照射の開始は、化学療法三回目の結果を見てからでも遅くはないのではないかと気持ちが揺れ始めた
私はまだまだ甘かったのかもしれない
辛すぎる選択から、一時でも目をそらし、逃げようとしていたのかもしれない
生きるか死ぬか
大切な息子の命の選択
でも旦那は、もうやるしかない、手遅れになったら取り返しがつかないと、先生の話を聞いた後でも、最初の断固とした決意を一向に崩さなかった
とうとう私も覚悟を決めて旦那の意見に同意し、息子の放射線治療をお願いすることが決定した
病院側ではすぐに準備にかかるが、決めてから実際の開始まではどんなに早くても2週間かかると言われた
その後、放射線科の先生と面談した
重苦しい雰囲気は一切なく、まるで風邪か何か軽い病気の治療のように淡々とした説明に返って違和感を感じた
動かないよう固定する為マスクを作ることや、脳の位置を計り、量を加減する為CT撮影して、それを元にデータを作り、計算すること、放射線治療後の皮膚のケアや障害についての説明を受けた
主治医の先生からは、もう髪は元通りにはならないと聞いていることや、身長が伸びなくなることを一応確認したら、まるで明日の天気は晴れですよとでも言うように、時間はかかるが髪は元通りになるとあっさりと言われた
身長もこの治療には関係なく今まで通り伸びると言われ、拍子抜けしてしまった
多分、先生は息子がそれまでは生きられないと分かっていて、親である私の、先生からしたら無駄な心配を少しでも軽くしようと、敢えてそう言ったのだと思う
実際、先生のその言葉で私が少しホッとしたのも確かだった
Kには放射線治療の説明を私からして、それが終わるまで入院が長引くこと、院内学級に入るため、転校手続きをしなければならないことなどを伝えた
入学してすぐに病気になってしまい、ほとんど通えなかった中学校には、あまり思い入れはなさそうで、幼稚園や小学校の地元の友達との関係があれば、在籍する学校はどこでも関係ないといった割りきった様子が頼もしかった
地元の友達との関係がしっかりと築けていたことが本当に有難かった
入院が長引くことに対しては、「え~」と残念そうだったが、放射線治療は病気が分かった当初から話してあったことなので、特に驚きもせず、髪の毛が抜けたり、頭の皮膚が日焼けのひどくなったように少しひりひりするとか、吐き気が強くなる為、抑える薬を飲むなど、具体的なことの説明に対しても特に何も言わず、「それ終わったらウチに帰れるんでしょ?」と確認しただけだった
私は「そうだよ!」と頷いて、「頑張って病気をやっつけてお家に帰ろう」と言った