義母のために、また自分が落ち着けるようにと
闘病ブログを読み漁りました。
色んなご病気の方の記録や、ご家族の闘病を書いておられる方、この方はうちの義母と似てるなぁ、義母より若いなぁ、前向きな方…
だんだん更新が遅くなってきた方、[ご報告]がタイトルの方…
これからの義母がどうなってゆくか、シミュレーションしていました。
余命宣告はされてはいませんでしたが、いずれその時が来るのは義母は覚悟していました。
私にできることは何だろう。
私は口下手なので、気の利いた励ましも言えず…。
ただ、普段と変わらないよう、笑いあったり、愚痴りあったり、美味しいものを一緒に食べたり。
孫である私の3人の子供達を連れてきて楽しく過ごしたり。
なるべく穏やかに過ごせるようにしてきました。
義母にもブログを読んでもらおうかと思ったけど、辛い内容の方が多く、落ち込んでしまいそうなので、見せませんでした。
今後、同じ病気で戦う人のために、書いてほしいな、と考えたこともあったけど、そこまでの気力はなく、義母には負担が大きそうなので断念。
代わりに私が書こうかと思ったが、薬の名前やら全てを把握していないので、適当なことは書けない。
やっばり、読む専門で、義母と重ねながら、見守ることにしました。
手術、抗がん剤、再発、手術、抗がん剤、転移。
次々と進行していき、
発覚から4年
在宅でのケアから緩和病棟へ入院してのケアへ。
癌がわかってから、義母と絶縁していた義姉が戻ってきました。
義母はずっと戻ってきてほしかったのですが、義姉が一方的に怒り縁を切っていました。
ですが、義母のために少しずつ心を開いて、最期までお世話をしてくれました。
義母は実の娘がお世話してくれたことをよろこんでいたと思います。
近い病院でしたが、やっと仲違いになってた娘と復縁でき、毎日付き添ってくれたので、私が邪魔するのもなぁとあまりお見舞いにいけませんでした。
義母が亡くなる2週間ほど前に、たまたま昼間に時間ができて長女と私でお見舞いにいき、義姉がいなかったので、3人で穏やかに昼寝までして過ごしたことがありました。
とても平和な時間で、私にとって忘れられない時間となりました。
その1週間後、義母の大好きなシャインマスカットを届けたら、もうあまり食べれなかったのに、その時は美味しい美味しいと沢山食べて、私にも一緒に食べるよう、まっすぐに私を見つめてくれた瞳が目に焼き付いています。
その1週間後、義母は息を引き取りました。