次男を生んで、次男が生後1か月で入院。長男も連れて大きい病院に行き、夫が来るのを何時間も待った。一緒に入院したが、私の食事はコンビニ弁当。生んで1か月で。離乳食を食べる頃に、卵でアレルギーを起こして救急車で救急搬送。産後休めずに過ごしていた。この時すでに調子が悪かった。寝ない子供達、泣く次男にパニックを起こして泣き叫んでいた。無理、子育てできない、と。落ち込みや感情の起伏が激しくなり、心に押し寄せる波のようなものがどんどん大きくなっていた。海に溺れているような感覚だった。

 

次男を生んで無理が続いていたから産後の肥立ちが悪いのだろう、感情の起伏が激しいのもホルモンバランスのせいだろうと思っていた。自分が病院に行く余裕はどこにもなかった。これが良くなかったのだろう。

 

次男が1歳半の時に流産した。出血多量で意識を失って救急搬送。真っ青どころか真っ白になり、血圧も下がりすぎて危険だったらしい。入院中、助産師さんが、「流産は小産というのよ。お産だから、危険が伴うし、産後のケアが大切。しっかり食べて、休める時はしっかり休んでね。無理だけはしないように。」と話してくれた。心がけて過ごしていた。

 

でも、この流産が良くなかった。これがきっかけで、体調は転がり落ちるように一気に悪化。メンタルも当然悪化。流産後、鉄剤や漢方薬を飲んでいたけれど、悪化するスピードが速くあっという間に谷底。

「消えたい。」「この世から静かに去りたい。」「疲れた。この人生を終わりにしたい。」と夫に漏らすようになった。うつ病になってしまった。

 

私がうつ病だったから色んな事が出来なかった。

子供たちの習い事。長男は小学4年生から始めた塾通い以外、習い事をしていなかった。させてあげられなかった。

まず送迎が無理だった。

習い事のスケジュールをこなすことが無理だった。

 

その代わりに、家の中で出来ることをしたり、庭で遊ばせたり、庭にテーブルを置いてホットプレートで焼肉をしたり、お好み焼きを焼いて食べたりした。

 

家の中では、パズル、レゴ、ブロック、カプラ、プラレールで遊ぶ子供達を見ているだけ、一緒に新幹線のDVD鑑賞、新幹線の絵を描いたり、動物の絵を描いてお面にして遊んだ。段ボールで乗り物や武器を作る子供を見てたまに手伝う。

下の子は生き物が好きだったから、虫や生き物を一緒に育てる、生き物のDVDを見る。

ディズニーのDVDや、アマゾンプライムでアニメを見せることも多かった。子供向けのものを二人に見せて、その間私は寝ていた。随分助けられた。有難かった。

 

庭では、お山を作って水を流してみたり、泥遊びする子供達を眺めて、あそび終わったらシャワーを浴びさせたかな。

一緒に遊ぶ元気がなかったから、眺めて微笑んで、写メ取って過ごしていたほんわか

愛情だけは精いっぱい注いだつもりだぐすん

 

でも、もっと元気なお母さんでいたかったな、もっとしてあげたかったなと今でも思うぐすん

子供達には自分で出来ることは自分でやるようにさせてきた。もっと私ができたら良かったのになと思う。

もっとこうだったら、ああだったらと当然思う。でも、子供達はとても優しくていい子に育っている。問題を起こしたこともなく、自信もあり、チャレンジ精神旺盛な人に育っている。思いのほか安定した子供達。

子供達に救われて来たなと感謝している。

 

うつ病や調子が悪い中の子育てはとても大変。正直、負担に感じることも多い。また、制約がある中での子育てに申し訳ないなという気持ちにもなる。

 

でも、特別な事や無理に習い事をしなくても、子供の遊びを眺めたり、おしゃべりしたり、写メを取るだけでも十分ニコニコお誕生日に「生まれてきてくれてありがとう。あなたは宝よ。」と伝える。子供は特別な事は求めていなくて、日常が大切だなと。

まずは、自分の健康、回復することを第一に。横になってうとうとしてもいい、子供のそばにいてあげてほんわか元気になった暁には、もっと一緒に楽しめるよおやすみ

 

ちなみに、子供たちは私の事をよく寝るお母さん、ロングスリーパー笑という認識らしいですニコニコそして、結構遊んでくれるお母さんらしいです笑