私は大学卒業後、海外の大学院に進学した。ダブルディグリーだったので、人生で一番勉強したのではと言えるほど勉強した。一日のほとんどをキャンパスで過ごしていた。

まず学生ビザで学んでいる身なので、出席数はかなりシビアに監視される。入管に報告義務があるらしい。

とはいえ、世界各国から留学生が集まり、オン・オフがはっきりしている欧米の国らしくオフの日にはしっかり遊んだ。留学はやはり視野が広がった経験だ。また留学できるならばしたいと思えるくらい貴重な時間だ。

 

そんな留学中に、生理痛が酷いことが増えた。スクールナースに相談したら、オーストラリアで家庭医を受診して専門医を紹介してもらうことも出来るけれど、母国で診てもらう方がいいのではと言われた。比較的長い休暇に帰国した。

婦人科を受診したら、子宮内膜症と卵巣嚢腫だと診断された。ただ、そこまでひどくないこと、嚢腫の大きさも小さいので定期受診することになった。痛み止めと胃薬をもらって帰った。

 

そうこうしているうちに、大学院を卒業し日本に帰ることになった。留学先でそのまま就職したかった身としては、後ろ髪ひかれる思いで帰国した。それほど、のんびりして良い意味で適当な雰囲気、そしてそこに暮らす人たちが好きだった。多種多様で移民で成り立っているような側面もある。当然、根強い人種差別や、その他様々な差別、ドラッグやスラムの問題、先住民の問題など、日本とは違った社会問題はある。それでも、もっと住みたかった。

 

帰国して、就職した。留学先では、インターンシップが卒業条件だったので、それも経験した。日本の組織があまりに旧態依然のままというか、異様な雰囲気になじめなかった。息が詰まるので、職場のトイレに逃げ込んでいた。

 

そうしているうちに、生理痛が激痛に変わった。生理ではない時にも痛みだしたので、婦人科にいったら、卵巣嚢腫が大きくなっていることが分かった。結果、低用量ピルを服用することになった。このピルの副作用が酷くでて、これまた苦しかった。夜中ずっと吐き気や嘔吐で寝れなかった。病気の治療のためのピルが総合的に状態を悪くしていった。

それでも、痛み止めなどを飲みながらなんとか過ごしていた。でも、体調がいい日なんてほとんどなかった。痛みがどんどん酷くなっていった。数回、突然の下腹部激痛で意識を失って救急搬送された。夜中に夜間診療に行って、点滴を打ってもらったことも数知れず。

 

何とか気合いで仕事をし、大丈夫、ピルが効いてくるよと自分に言い聞かせて生きていた。

 

痛みは体だけでなく、心も蝕んでいくのだ。すり減っていくのだ。体調が悪いと心のコンディションも悪くなる。うつ状態になった。痛みで食欲も落ち、どんどん痩せていった。完全に悪循環に入ってしまっていた。

 

仕事は休職することにした。もう無理だった。活動休止だ。そんな自分が無念だった。まだ20代半ば。大丈夫?と聞かれても、大丈夫!と無理してでも言えなくなっていた。婦人科の先生から、嚢腫が大きくなると手術と言われたり、妊娠しにくくなるかもと言われた。

だから不妊治療のクリニックに行ってみた。そしたら、妊娠しにくいから体外受精で妊娠して、妊娠中に嚢腫が大きくなったら、その時手術するとサラッと言われた。妊娠の予定はなかったが、そんなこと言われて「そうですか。分かりました。」と受け入れることが出来るわけなかった。恐怖でしかなかった。

 

何がいけなかったのか?と自分を責めた。何か罰があたったの?と、だただ途方に暮れた。

ふと、中高時代の友達で生理痛が酷くて休んでいた子のことを思い出した。辛かっただろうにと初めて生理痛の痛み、心の痛みが分かった。

 

休職後、仕事をやめた。もう無理だった。とにかく、休もう!!と。

正直、ホッとした自分もいた。