たぶん、九州ローカルだけの放送?
日野熊蔵さんのドキュメンタリードラマ(っていうのかな?)
熊本県球磨郡人吉町(現・人吉市)出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E7%86%8A%E8%94%B5日野 熊蔵(ひの くまぞう、1878年6月9日 - 1946年1月15日)は、
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中佐。
日本の航空界黎明期のパイロットの1人である。
命をかけて無謀(わたしから見ればですけど)な飛行を
繰り返す旦那様に奥様が言ったことば。
"覚悟はできております..."
たぶん本音を言ってもしかたないから
一人残される覚悟はできております
ってことなのかな...
昔のことのドラマとかでよく出てくるせりふだけど
わたしにはダメだな...
とても無理...
番組の中で久しぶりに聞いた歌
松浦亜彌さんとかが歌ってるのも見つけたけど
何となくこれがわたしにはよかった。
初音ミクで旅愁 Dreaming of Home and Mother(John P. Ordway)
でも、一緒ならいいよ
---------------
1.更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
恋しや古里 なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
2.窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
恋しや古里 なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
作曲 ジョン・P・オードウェイ
訳詩 犬童球渓
---------------
http://www.geocities.jp/mani359/2mei0611ryosyu.html
『旅愁』は、まるで唱歌のような日本の秋の一風景を歌ったしっとりした作品ですが、原曲を作ったオードウェイ(1824-1880)は、アメリカの音楽家で、フォスターやワーク(大きな古時計の作曲者)とほぼ同時期に活躍しました。
彼は本業の医者の仕事をしながら楽譜出版なども手がけていたそうです。
しかし、「旅愁」の原曲である、「Dreaming of home and mother(ふるさとと母を夢見て)」の歌詞は、旅愁のような侘しさはなく、故郷を穏やかな気分で回想するようなものだったとか (原曲の方は、アメリカでは忘れられてしまったようです)。
それを、明治40年(1907年)に、日本の詩人「犬童球渓(いんどう きゅうけい)」が訳詩をしました。その後、音楽教科書(当時は中学校)で取り上げられて以来、急速に浸透し、今では完全に日本の歌になりました。
犬童球渓は、熊本人吉市の出身で、苦学の末、東京音楽学校(現芸大)を卒業後、各地を転々とし、新潟の女学校に勤務していた時代にこの訳詩を手がけたようです。故郷を遠く離れた北の国から、自身の境遇の苦悩などをつづったものだともいわれています。
また、林芙美子の「放浪記」の冒頭にも出てくることでも広く知られています。
林芙美子著「放浪記」より
私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。
『更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む
恋しや古里 なつかし父母』
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。
父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。
母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。
母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放
されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下
関と云う処であった。
私が生まれたのはその下関の町である。故郷に入れな
かった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。
それ故、宿命的に旅人である私は、この恋しや古里の
歌を随分侘しい気持ちで習ったものであった。
---------------
この方がいいのかも?
旅愁 - 白鳥英美子
日野熊蔵さんのドキュメンタリードラマ(っていうのかな?)
熊本県球磨郡人吉町(現・人吉市)出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E7%86%8A%E8%94%B5日野 熊蔵(ひの くまぞう、1878年6月9日 - 1946年1月15日)は、
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中佐。
日本の航空界黎明期のパイロットの1人である。
命をかけて無謀(わたしから見ればですけど)な飛行を
繰り返す旦那様に奥様が言ったことば。
"覚悟はできております..."
たぶん本音を言ってもしかたないから
一人残される覚悟はできております
ってことなのかな...
昔のことのドラマとかでよく出てくるせりふだけど
わたしにはダメだな...
とても無理...
番組の中で久しぶりに聞いた歌
松浦亜彌さんとかが歌ってるのも見つけたけど
何となくこれがわたしにはよかった。
初音ミクで旅愁 Dreaming of Home and Mother(John P. Ordway)
でも、一緒ならいいよ
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1.更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
恋しや古里 なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
2.窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
恋しや古里 なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
作曲 ジョン・P・オードウェイ
訳詩 犬童球渓
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http://www.geocities.jp/mani359/2mei0611ryosyu.html
『旅愁』は、まるで唱歌のような日本の秋の一風景を歌ったしっとりした作品ですが、原曲を作ったオードウェイ(1824-1880)は、アメリカの音楽家で、フォスターやワーク(大きな古時計の作曲者)とほぼ同時期に活躍しました。
彼は本業の医者の仕事をしながら楽譜出版なども手がけていたそうです。
しかし、「旅愁」の原曲である、「Dreaming of home and mother(ふるさとと母を夢見て)」の歌詞は、旅愁のような侘しさはなく、故郷を穏やかな気分で回想するようなものだったとか (原曲の方は、アメリカでは忘れられてしまったようです)。
それを、明治40年(1907年)に、日本の詩人「犬童球渓(いんどう きゅうけい)」が訳詩をしました。その後、音楽教科書(当時は中学校)で取り上げられて以来、急速に浸透し、今では完全に日本の歌になりました。
犬童球渓は、熊本人吉市の出身で、苦学の末、東京音楽学校(現芸大)を卒業後、各地を転々とし、新潟の女学校に勤務していた時代にこの訳詩を手がけたようです。故郷を遠く離れた北の国から、自身の境遇の苦悩などをつづったものだともいわれています。
また、林芙美子の「放浪記」の冒頭にも出てくることでも広く知られています。
林芙美子著「放浪記」より
私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。
『更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む
恋しや古里 なつかし父母』
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。
父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。
母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。
母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放
されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下
関と云う処であった。
私が生まれたのはその下関の町である。故郷に入れな
かった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。
それ故、宿命的に旅人である私は、この恋しや古里の
歌を随分侘しい気持ちで習ったものであった。
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この方がいいのかも?
旅愁 - 白鳥英美子