7 ゲームに加わらないこと。
人の心をあおるのは、サイコパスの手口だ。サイコパスの挑発にのって、力くらべをしようとか、だしぬこう、心理分析をしよう、あるいはからかってやろうなどと考えないほうがいい。そんなことをすれば、あなた自身が相手のレベルにまで落ちるだけでなく、本当にだいじなこと、つまり自分の身を守ることがおろそかになってしまう。
8 サイコパスから身を守る最良の方法は、相手を避けること、いかなる種類の連絡も断つこと。
心理学者はたいていの場合”避ける”ことを勧めないが、この問題に関してははっきりと例外をもうけたい。サイコパスだとわかった相手に対処する唯一効果的な方法は、彼らをあなたの生活から完全にしめだすことだ。サイコパスは社会の約束ごとと切り離された世界にいるので、彼らを自分の交友関係や社会的付き合いの中に入りこませるのは危険だ。
まずは、あなた自身の交友関係と社会生活から彼らをしめだすこと。その行為はだれの気持ちも傷つけない。傷ついたふりはするかもしれないが、サイコパスに傷つくという感情はないのだ。
あなたの家族や友人に、自分がなぜ特定の相手を避けようとするのかわからせようとしても、むだだろう。サイコパシーは、驚くほど見分けがむずかしく、人に説明するのはそれ以上にむずかしい。とにかく相手を避けること。
完全にしめだすのが不可能な場合は、できるだけ顔を合わせないように、計画を立てること。
9 人に同情しやすい自分の性格に、疑問をもつこと。
尊敬とならんで、同情もまた人づきあいではだいじな要素だが、この気持ちは本当に苦しんでいたり、不幸に見舞われた罪のない人のためにとっておこう。
だがもしあなたが、まわりの人をたえず傷つけておきながら同情を買おうと大げさに働きかけてくる相手に、ついほろりとすることが多い場合。あなたはサイコパスとかかわっている可能性が高い。
それに関連して---私は人がつねに礼儀正しくあるべきかどうか、真剣に考えた方がいいように思う。一般に、”教養のある”おとなは、繰り返し嘘をつく卑怯で腹の立つ相手にさえも、反射的に礼儀正しくふるまう。サイコパスはこの反射的な礼儀正しさを大いに利用し、自分の思い通りにことを運ぼうとする。
かんじんなときには、笑顔を見せず冷たく接することを恐れてはならない。
10 治らないものを、治そうとしないこと。
良心をもつ人には、第二の(そして第三、第四、第五の)チャンスがある。良心をもたない相手とかかわったら、つらくても被害の少ないうちに見切りをつけること。
ある時点で、私たちは学ぶ必要がある。いかに善意からであっても、私たちは人の行動---性格は言うまでもなく---を変えさせることはできない。この事実を学んで、皮肉にも相手とおなじ欲望にはまり込み、相手の行動を支配しようとしたりしないこと。
相手を支配するのではなく、助けたいのなら、みずから助かりたいと望んでいる人だけを助けること。そういう人のなかに、良心の欠如した人間などいない。
サイコパスのとった行動は、あなたの落ち度ではない。あなたの責任でもない。あたのが責任をとるべきものは、あなた自身の人生だ。
11 同情からであれ、その他どんな理由からであれ、サイコパスが素顔を隠す手伝いは絶対にしないこと。
「だれにも言わないでほしい」と涙ながらに訴えるのは、盗人、児童虐待者、そしてサイコパスの得意技だ。この嘆き節に耳を傾けてはいけない。サイコパスの秘密を守るより、他の人びとに警告を発するほうがはるかに役にたつ。
サイコパスから、「あんたは俺に借りがある」と言われたら、ここに書かれたことを思い出してほしい。「借りがある」というのは、何千年も前からサイコパスの典型的な台詞なのだ。いまもそれは変わっていない。
私たちは「借りがある」という言葉に有無を言わせぬ力を感じがちだが、それはちがう。耳を貸してはいけない。そしてまた、「君は私とよく似ている」という言葉も無視すること。似ているはずはないのだから。
12 自分の心を守ること。
良心のない人びとから人間は無力だと言われても、信じてはいけない。人間の大半は良心をもっているし、愛することができるのだ。
13 しあわせに生きること。
それが最高の報復になる。
マーサ・スタウト著
「良心をもたない人たち」より引用しました。