1 世の中には文字通り良心のない人たちもいるという、苦い薬を飲み込むこと。

 良心のない人たちは、凶悪な顔はしていない。私たちとおなじような顔をしている。

 

2 自分の直感と、相手の肩書---教員者、医師、指導者、動物愛好家、人道主義者、親---が伝えるものとのあいだで判断が分かれたら、自分の直感にしたがうこと。

 意識するしないにかかわらず、あなたはたえず人間の行動を観察している。直観的な印象は、それがいかにぶきみで突飛に思えようと、無視したりしなければあなたを助けてくれる場合がある。あなたの最良の部分は、立派で徳の高そうな肩書が、もともと良心をもたない物に良心をさずけたりしないことを、自然に理解しているものだ。

 

3 どんな種類の関係であれ、新たなつきあいが始まったときは、相手の言葉、約束、責任について、「三回の原則」をあてはめてみること。

 一回の嘘、一回の約束不履行、一回の責任逃れは、誤解ということもありえる。二回つづいたら、かなりまずい相手かもしれない。だが、三回嘘が重なったら嘘つきの証拠であり、嘘は良心を欠いた行動のかなめだ。つらくても傷の浅いうちに、できるだけ早く逃げだした方がいい。

 あなたのお金や仕事や秘密や愛情を、「三回裏切った相手」にゆだねてはならない。あなたの貴重な贈り物がまったくのむだになる。

 

4 権威を疑うこと。

 ここでもまた、自分自身の直感や不安感を信じるほうがいい。支配や暴力や戦争など、あなたの良心に反する行為が、何かの問題解決になると主張する相手には、とりわけ要注意だ。自分の周りの人たちがみんな権威者に疑いをもたなくなったとしても、いや、もたなくなったらとくに、疑問を抱くこと。スタンレー・ミルグラムが服従について私たちに教えたことを、思い出してほしい。十人のうち六人が、いかにもえらそうに見える相手に盲目的にしたがうのだ。

 さいわいなことに、仲間の支持があれば、権威に立ち向かいやすくなる。周囲の人たちにも疑問をもつよう働きかけよう。

 

5 調子のいい言葉を疑うこと。

 ほめ言葉は、心から言われた場合は、美しいものだ。だが、お世辞は非常に危険であり、私たちのうぬぼれに訴える。相手の心を偽りでそそるための手段であり、たいていあやつろうという意図がひそんでいる。お世辞で人をあやつる行為は、無害な場合もあれば、災いをもたらす場合もある。自尊心をくすぐられたら目を光らせて、お世辞を疑うことを忘れないように。

 この「お世辞のルール」は個人にも、また集団や広く国民全体にも当てはまる。人類の歴史を見ると、現在にいたるまで、人びとを戦争に向かわせようとする演説には、心をくすぐる美辞麗句が入っている。国民一人一人が力を合わせて勝利を手にすれば、この世界をよりよいものに変えられる。真人間としての努力が、人道的な成果をもたらし、正しい、道徳的に称賛にあたいする勝利をもたらす。人間が歴史を記録しはじめて以来、大きな戦争はそんなふうに主張されてきた。そして対立するいかなる国でも、それぞれの言語で、聖なる戦争という表現が使われた。

 よこしまな甘言にのぼせた個人は、愚かな行動をとる。大言壮語であおられた愛国主義も、危険である。

 

6 必要なときは、尊敬の意味を自分に問いなおすこと。

 私たちは恐怖心を尊敬ととりちがえることが多い。そして相手が恐ければ恐いほど、尊敬に値する人物と思いこむ。

 あなたも人間の大きな脳を使い、反射的に捕食者に頭をさげたがる動物的な傾向を克服し、不安を畏敬の念と錯覚しないようにしよう。本当の人間的な敬意とは強く、やさしく、道徳的に勇気のある人に払われるべきものだ。あなたを脅して利益を得ようとする人間は、そのいずれでもない。

 恐怖心を尊敬ととりちがえないことは、集団や国民全体にとってさらに重要だ。人びとに犯罪、暴力、テロの脅威を繰り返し訴える政治家や、国民の増大した恐怖心につけこんで忠誠心を獲得しようとする指導者は、どちらかというと大物詐欺師に近い。それもまた、人間の歴史に事実として刻まれている。

 

 

 

 

マーサ・スタウト著

「良心をもたない人たち」より