うの。
小学校低学年のオレは階段の手摺りとよく遊んでいたが、桜文鳥や黄文鳥などともよく戯れたものだ。
だが縁日で出会ったあいつだけが、今もオレの人生に多大な影響を与える存在であり続けている。
そう、鶏(ハクショクレグフォン)のピピだ。
名前はあれ、ひよこのときに名付けたからだ。武士じゃないから名前が変わることはない。
だだ、新渡戸稲造(もと五千円札)のそれよりも武士道をオレに教えてくれたのは、あいつだったのかもしれない。
縁日で400円の取引をし、オレの麾下に馳せ参じたピピは、メスの予定だった。メスの方が増えるから、増えて可愛いから。そのつもりだったがオスだった。
鶏は飛べないと聞いていたので、ピピには他の凡夫と区別させるため、飛ぶことをまず教えた。
オレの教えは厳しく、椅子や机、階段など、まだひよっこのあいつには荷が重いランジばかり。しかしあいつはへこたれず、短い羽を羽ばたかせて自分の身を守った。
すこしトサカが成長し、コケコッコの鳴き方を練習するとき、ピピがオスだと分かった。動揺はない。どうせ一匹じゃ増えないし。そんな社会の常識を知ったオレ。あの日の縁日では知りもしなかった。
ピピを飛ぶ鶏にする訓練は怠らなかった。トサカが成長する頃にはアパートの屋上から飛んで地上に逃げることも出来たし、うちの庭の塀とフェンス。あわせて二メートル近くあるのだが、悠に飛んで飛び越えることが出来るようになっていた。ヤツはそう、まるで鳥のようだった。
ピピとボールを戦わせる組み手も毎日のようにやった。オレがボールを投げると、オレではなく、ボールに対してのみ怒りあらわに立ち向かう。
立ち向かうべきは元凶のオレではなく目の前の敵(ボール)。主従の礼を弁えたヤツだった。
3・4mは悠に跳躍し、屋根から飛び立っても平気な顔をするあの雄々しいピピは、庭で放し飼いにしていた。だから簡単にフェンスを越えてよく界隈を徘徊していた。でも何故か周囲30m程度しか移動することはできず(テリトリーなのであろうか)、呼ぶと引き返してきた。懐かない、という触れ込みだったが、ピピは例外だ。
通行人やチャリに乗る子どもには容赦なく攻撃を仕掛けていた。啄んで、捻る、ヤツの嘴は完全に凶器だし、既に猛禽類のそれだった。子どもが血を流して泣きべそかいて逃げ出す様には時折興奮を憶えた。
猫を追いかけて啄み、スズメバチを空中で噛みつぶすヤツの闘争能力は2年弱で成熟期を迎えていた。
夏のさかり、陽炎が立ちこめる昼過ぎの土曜日に、
死んだ。
次回は小学校中学年になったオレと新築のマンションについてのはなしをする。


