日本のみならず世界の映画史にその名を記すゴジラが誕生してから今年で60年です。何度かの休止期間を経ながら、今後10年間はゴジラを作らないとして、2004年のゴジラ・ファイナルウォーズを最後に休息を撮り続けてきたゴジラがハリウッドから目覚めて日本に襲来しました。アメリカでの公開は5月。日本での公開は7月末でしたので、早く見たいと思いながらこの時期になってしまいました。
見てきましたよ!ゴジラ。前から二列目になってしまってド迫力でしたw以下、多少のネタバレもあります。(twitterでももう言っちゃってるんですけれど。
まず、OPで吸い込まれました。白黒の核実験などの映像を流しながら、スタッフの役と名前が流れるんですけれど、この演出がすごい。普通だったら、監督 山田太郎 助監督 鈴木健太 とかって流れるところ、文を一部黒塗りにしてるんですね。
これまでのゴジラ(エメリッヒ版を含む)だと、ビキニ環礁実験などの核実験で住処を追われたあるいは突然変異したというようなゴジラ生誕の秘密が語られてきましたが、ネット情報で戦後の相次ぐ核実験はそれまでから存在した巨大生物(ゴジラ)を退治するために「秘密裡」に行われた「実戦」というストーリーということは知っていたので、なるほど!これは情報公開がされていない墨塗りという演出なんだ!といたく感動したわけです。
そして、核爆発から舞い落ちる死の灰…そして、浮かぶGodzillaという文字…
一気に作品世界に吸い込まれました。
最初に感想を言っちゃうと、この映画、細かいディテールのストーリー性は少し難ありだけど、怪獣バトルは素晴らしい。ガチンコっすよ。何あのムートーの倒し方。やべぇwやりすぎ。あと、映像美は素晴らしかった。青く光る背びれは美しかったですねぇ。
それから、ジャンジラ市(!)の原発崩壊シーンと津波のシーンは涙が出ました。やっぱり、まだ折り合いついてないんでしょうね。もちろん、あの瞬間をあの土地で経験した方に比べるとぼくなんかは遠い関西にいたので言う資格もないのですが。今回のゴジラを見て、技術的な面で怪獣映画を日本が送り出すのは今後難しくなったかもしれないと思うと同時に日本の映画会社でも監督でもまだあの事象を完全に飲み込めていないのではないかなと思い、精神的にも難しいのかもと思いました。初代ゴジラも先の戦争と比べられるのですが、それにしたって終戦から9年経っているわけで。3年やそこらではやはり難しいのかなぁ…
本編は、フィリッピンで芹沢博士が巨大生物と思しき化石とそこにいたと思われる生々しい何か、そしてそれが海へ逃げ出しているという示唆があるところから始まります。余談ですが、芹沢博士の本名は、芹沢猪四郎。オキシジェン・デストロイヤーの発明者芹沢博士と実在の本多猪四郎監督から取られていますね。
ここのところは、平成ガメラのギャオスを思い出しました。大怪獣空中決戦の姫神島のギャオスの巣や3の(アレもフィリッピンだっけ?)ギャオスの死体の生々しさ。ネットを見てると平成ガメラの影響を語る向きもあるようです。
所変わって、日本、ジャンジラ市(ジャンジラってなんやねん。まあ、明らかに浜岡原発ですね。背景に富士山がありますし、異常震動の場面では、東海、富士山…と言っていますし。)の原発(日本で空冷式はありえへんぞー)で異変が起こり、主人公フォードのお母ちゃんがお父ちゃんジョーの目の前で死んでしまうん(ジョーが放射性物質拡散を防ぐため退路を防いでしまう)ですが、あの崩壊のシーン…
全編にわたっての演出なのですが、起こっている事象をニュース映像を通して登場人物たち(あるいは観客の私達)が知るという場面が多いです。これは、初代ゴジラのアメリカ版である怪獣王ゴジラの演出が影響しているのか、それとも、湾岸戦争や9.11、いや、やはり、監督自身があの大地震と大津波をニュース映像で固唾を呑んでみていたであろうことが影響しているのか。どちらもだと思うのですが、特徴的な演出でした。
怪獣同士のプロレスは圧巻です。一方で、ゴジラの表情が読めないんですよね。人間をまるで無視(サンフランシスコでは米軍のミサイルの盾になっているようにも思えるシーンはあるのですが)。敵怪獣のムートーは逆にものすごく人間臭い。感情豊かな怪獣です。夫婦が出会った時の喜び様、巣が破壊された時の悲しみ、巣を壊したフォードへの怒りなどなど。この辺りの演出はニクいですね。
そして、こういった怪獣による災害やそれに対応する軍、パニックになる群衆なんかからの目線で描かれているように思いました。リアリズムを追求したということらしいのですが、実際にああいう怪獣が出てきたら、個々人は何が起こっているのかわからないまま、ニュースに釘付けになり、被災し、家族・友人・街を亡くしてしまうんだという。あれ、ぶっちゃけ提督も事態の全貌がわからないまま対応に追われてますよね。怪獣のプロレスも怪獣同士の目線あるいはそれをも見下ろす神の目線の描写は少なかったように感じます。
ネットを巡回してたら、ゴジラの全貌が殆ど映らない!っていう批判を目にしましたが、そういう描写ない上仕方がないというよりは、それを狙っているんじゃないかと思っています。
一方で、ゴジラやムートーの生態、秘密組織モナークとは何なのか、芹沢博士は何をしているのか、日米両政府の対応など全然見えてこないんですよね。アメリカのこういう映画で大統領が出てこない(唯一、核使用の場面で提督が電話していた相手がもしかして大統領?と思いますが。)のって、珍しいんじゃないかと思いました。(デイ・アフター・トゥモローが大統領がすぐ消息不明になって副大統領が指揮を取りますが。あれ、ブッシュとチェイニーの時代だしね。)監督は政府とか軍とかをあまり信用してないんじゃないかと思いました。ゴジラに対して、パニックにかられてミサイル打ちまくっちゃうとことか。民間人がまだ残っていることは提督も知っていて、ミサイル初弾のあと他の兵士からも民間人がいるから撃つな!と言われているのに、耳を貸さず乱れ打ちですからね。ここもあまり今までの怪獣映画にはなかったように思いました。
つまり、仰瞰の映画であって、俯瞰の映画ではないのだろうと思いました。(これって、我々が実際に大事件大事故を目撃している時と一緒ですよね。)
見終わったあと、ゴジラすげぇぇェェェ!って感想と同時にもやっと感が残るんですよ。ストーリーにディテールが欠けるせいだと思うのですが、これは監督が若いせいで脚本を練られていないのか、公開時に削りまくったのか。どちらもあると思うのですが、他のこれの答えはOPにあるんじゃないかなと。
各国はゴジラの存在を何十年も隠蔽してきたわけです。だから、墨塗りのOPなんですよね。芹沢博士はある程度噛んでて知っているんでしょうけど、多分、提督も深くは知らないんでしょう。当然、主人公たちも目の前の出来事に対処するだけで、全体としてモナークとはなんなのか、ゴジラとは何なのかというところまで行き着いてません。情報公開がされていないんですね。だから、観客たる我々も全体を俯瞰できず、ムートーが原発から脱走する→ハワイを襲う→ゴジラも出てくる→サンフランシスコ決戦と息つく間がない。で、終わった時に、なんかすごいものを見たが、実際何が起こっていたんだ!?となるわけです。ほんとにこれ、大事件を目撃した時の我々なんですよね。
という解釈でストーリーのつながらなさを考えた上で、2点だけ不満があります。1つは提督たちが(芹沢博士にヒロシマを語らせたにも関わらず)核の使用を決定し、失敗したのに特にリアクションがないこと、1つは主人公の奮闘にも関わらず核は爆発していること(かつ、あんだけ核爆発の光線を浴びて大丈夫なのか?という疑問)です。
前者は、提督にクソッ!とでも言わせる場面を挿入すれば解消されたのではとも思うのですが。
後者はなんらかの意味合いがあるのかもしれません。
この映画、伏線が多すぎてほとんど回収されていません。フォードの父親ジョーの残したフロッピー(!)ですらほとんどそのままになっていましたよね。最後のニュース映像で、「怪獣王、我々の救世主か?」とありましたが、そのまま、ゴジラという存在がこの作中でどういう位置づけなのかは?なままなのです。
聞くところによると、全三部作の予定だそうで、次回作は4年後とか。ラドンやモスラ、キングギドラの登場も示唆されているようです。
どういうふうに収斂していくのか、墨塗りが明らかになるのか、楽しみでなりません。
ところで、モナークって君主という意味ですが、怪獣王のことなのでしょうか。オオカバマダラを意味することもあり、渡りの意味も含まれているのでは?とのことですが。次回作で明らかになるのでしょうか。