たまに義母がうちに泊まりに来ます。
物忘れや心配性が多く、見守りが必要なので、ふだん日中はデイサービス。楽しく遊んでくる義母。
でも一緒に住んでいる義父の負担を減らす意味もあり、月に1、2回はうちに泊まってショートステイみたいな。
とても波長が合うし、笑顔がかわいい楽しい人なので、大好きです。
幼い頃とても苦労されたけど、それでもめげずに楽しんでこれた人。
おしゃべりや楽しいこと大好き、明るくてざっくばらん。
なによりaoにそっくり…
言うこともやることも、あわてんぼうでおっちょこちょいなところも…笑えます。
先日義父が米寿、義母は傘寿を迎え、
長生きっていいなぁと改めて思いました。
※昨年義母がコロナになって看病した話は↓
そんな中、介護保険の更新などでケアマネさんやら主治医やらいろいろ連絡とらなければならないこと、あります。
もー連携ミスやら、話通じてないとか、トラブルありますね😓
電話嫌いのわたしが何度もあちこちに電話…
土日はケアマネさん繋がらないし、病院もおやすみだし、できるだけ平日昼間に都合つけていろいろやらなければならないけど、
普通にフルタイム仕事していたら無理だよね。
ってこと…本当にたくさんあります。
これは、介護に限ったことではなく。
子育てだってそう。
子育てや看護、介護などの人生の場面。自分の自由な時間をだれか家族のためにつかうこと、何か自分の大切なものを犠牲にしている気持ちになってしまうことも…
11年前実母の看病のときも、本当に余裕がなくて、もっと気楽に考えたら良かったのにいつもイライラしていたなぁ。
でも、自分や自分の人生が犠牲になっているという考えでやっているとめっぽー良いことないです。しかしわたしは思考の癖で、そう思いがち。
気づくと、その方向に持って行こうとする自分がいて、おっといけない!と努力と根性で捻じ曲げでます。←最近これができるようになった
なにか予期せぬことで自分の時間が減ってしまっても(←この考えがそもそも、ですが)それでもこの人に笑顔になって欲しいからやっている、好きでやっていることだもの。
だから面倒でイライラすることをどれだけ面白がれるかだなぁ、と思う。
そして感謝されることを相手に求めずとも、もう自分でありがとういいまくってます。感謝しまくり褒めまくりです。
まぁ、、
現実問題として、働きながら家族の面倒をみることと、行政や社会のシステムは、一致団結協力し合って万事スムーズに進む〜なんてことはほぼない!
どこかで「あーー!もぅ!」という気持ちになることもあります。
それでもまあいいや。
面倒でイライラしてうまくいかなくて「チッ」で思いながらもお義母さんの笑顔が見たくて。そんながんばるわたしに「ありがとう」なんですわ〜。
さいわいなことに、介護に関わるような事務関係について面倒でイライラしたとしても、義母に対してそんなふうにネガティブに思うことはなくて、、
実母に対するような憎しみ(!?)や愛されたい的複雑な感情がなく、ストレートに「大好きなお義母さん」であることがすごく不思議!言いたいこともけっこう言えてしまいます。
それは所詮他人様だからなのでしょう。
他人には無条件で優しくできるのだなぁとしみじみ思います。
実母娘の関係は世界のあらゆる人間関係において、一番やっかいである気がします
だから、みんなそうなのだ、多かれ少なかれ。母としたら完璧な子育てもなく、子としたら完璧に育つ子もいないわけです。
結論…
人間欠けまくってダメなやつでも楽しめればそれでいいや。