突然ですが

わたしは

漫才の、爆笑問題さんが大好きです


テレビが無いここ1年余の生活では

テレビでは見ませんでしたが

爆笑問題さんのラジオ番組を

YouTubeでよく聴いています


時々

太田さんがなるほど!と思わせる、哲学的で真理をついた意見をよくおしゃべりしているのですが…


(テレビのお笑い番組なんかだと、''はちゃめちゃな太田さんを諌める常識的な田中さん''の図があるのですが、太田さんは才能溢れるすごく繊細な文化人で、むしろ田中さんが超モンスターなのは、ラジオ聴いているとわかる、そこがお二人のおもしろいところ)



今回のラジオトークで

大きく頷くことがあったのでシェア






最近の国会での質問と答弁のこと。


総理大臣への質問で

「僕の運動会は(コロナのため)中止になったのに、なんでオリンピックは開催するの?」という子供の質問に、総理、答えられますか?

という問いに対して、

菅総理はうまく答えられなかったらしい

おかしな話

何故この状況でオリンピックを開催するのか??




ということがあったらしい


菅総理が

どんな風に答弁したのかはちょっと不明なのだけれど、

ここからが太田さんの見解↓

(聴いたことをわたしが解釈して要約)



その質問をする気持ちは、わかるよ

わかる

けれどね、その質問こそが、みんなでそれぞれ考えるべきこと、それが、学問の始まりなんじゃない?

だって、この質問に正解ある?

きちんと正解出せる人いるの?


子どもにこう聴かれたら、お父さんや、大人はどうする?


なんで運動会は中止になったんだろう?

コロナ感染ってどんなことなんだろう?感染症ってなんだろう?いま、世界で大切にしなければならないことってなんだろう?

運動会は君にとって、どんな思いがあるんだろう?

オリンピックを目指しているスポーツ選手は、どんな思いで練習しているんだろう?

そもそも、オリンピックってなんだろう?起源や、目的を調べてみようか。


どうして、学校の運動会は中止になって、オリンピックは開催されるんだろう?

一緒に考えてみようか。




こうやって、大人も子どもも、一緒に考えてみること

これこそが、学問なんじゃないの?

問いに対する明確な正解って、あるのかな?ないことこそ、考えていくことが、人生なんじゃないの


例えば、「なんで人を殺しちゃいけないの?」って子どもに訊かれたらどう答える?

世の風潮では、「理由がなんであれ、人を殺すことはいけないこと」と''教える''じゃない、

でも子どもにとっては当然な疑問だと思うんだ

だって、牛や豚、殺して食べてるじゃん、人間以外の生き物を殺すこと、普通なことあるじゃん、

子どもにとってはその疑問って普通に出てくると思うんだ

それを、「なぜ人は人を殺しちゃいけないか」を、一緒に考えて、いろいろなことに想いを巡らせていくことが学問だと思うんだよね




そんな風な意見を熱く語っていました


正しい解を求めることは人間の好奇心(脳の働き)であるけれど

誰かに求めても結局自分のものにはならないよね

なぜ?なぜ?という疑問は

スマホで検索することで解決することも多いけれど

正解がわからないことこそ、

考えてみよう

それが考えるちからであり、生きるちからなんだと思う


物事を早急に判断したり、早急に決着つけたり、善悪で決めてしまう傾向、

やっぱりわたしにもあるなぁ


幸いなことに、

小中学校では教科書無視の

なぜ、そうなるのか?考える

という教育方針の学校だったため

太田さんの学問とはなにかについて

スッと腑に落ちる

(この教育方針で育ったことの、良し悪しはアルけどね)


学問を楽しむこと

それってほぼイコール生きていくこと

自分の中で答えをみつけたり

答えがわからないというままだったり

年齢重ねて急に答えをみつけることもあるよね


今は今の自分で

考えてみよう



わたしももし子どもがいたら

いなくても子どもに訊かれたら

一緒に考えていける大人になりたいなあと

心から思いました


もういい大人なんだけどさ。




という気づきのシェアでありました!