もう片方との闘い⑨釘抜手術と右足
2011/4/14 左足釘抜手術と右足加重訓練開始
震災の影響もあり延期となっていた左足の
ボルト抜き手術です。
これで、順調ならば最後のメス入れになるかと・・・
4回目の闘いです。
まずは、前回同様に手術着に着替えて
ベットを乗り換えオペ室に移動
そこから全身麻酔にてオペ開始です。
待合室で待っていると、1時間も掛からない
うちに終了となりました。
結果は・・・
「何の問題もないよ」 お疲れさま!
・・・と鈴木先生。
さすが・・・と言っては失礼ですが、やはり超人なみの
オーラを感じました。
そこから、麻酔が切れるまで約30分
切れてから1時間、少し傷口が痛いと言ってましたが
もう、慣れっ子の様で・・・普通~に「水飲みて~」と
言ってたくらいです。
こうやって、最後であろう闘いは終了しました。
そして右足の青○の状態 2ヶ月前のレントゲン
DIY坊本人のもので解説してみます。
骨頭の上部が丸いおわん型になって大分再生されていますが
少しうすい影があるのがわかります。
まだ、完全に再生しきっているわけではありませんでした。
それと比べ左足の赤○の部位は骨頭が小さく丸みもありませんが
これから、骨盤との”すきま”範囲で右と同じような状態になるまで
加重を掛けず、リハビリをしながら再生を待ちます。
おおよそ1年くらいはかかるのではないでしょうか。
今回はその下の大腿骨のボルトを除去しました。
(抜いたボルトは頂けます・・・木ねじみたいな
M4×40㎜ナベビスと2㎜厚のステーの様な感じ)
そして今回右足の状態
骨頭が綺麗に丸く、影もなく再生されています。
この状態になって、やっと体重が掛けられて
いよいよ、少しずつではありますが足を地面に
着くことが許可され、1/3 1/2加重の
リハビリを経て最終的には全加重となって
DIY坊の場合は松葉杖での生活に戻れます。
期間は、あと2~3ヶ月です。
通常、片方であればこれで運動制限をして
徐々に完治に向かうことになるのですが
両足発症なのでまだまだ時間との闘いに
なります。
あとは、家でしっかりペルテス体操を毎日行って
加重の訓練をして
可能な限り、筋力を付けるように自転車マシーンを
頑張ってやって行くしかありません。
時間は、まだまだかかります・・・
でも、第1関門突破出来たのではないでしょうか!
約8回の入院
4回の手術
・・・・よくがんばった!!DIY坊
・・・・強くなった!!!DIY坊
でも、たくさんの人達への感謝の気持ち
絶対に 忘れるな!
ここからが勝負だ!
みんなでがんばろ~
ファイト!
DIY坊のペルテス病 “キセキ”
2011/4/12 「キセキ」
ペルテス病と診断されてから絶望の淵に落とされ
これから先、不安と恐怖しか考えられなくなった
時期もありました。しかし、ある日記を拝見し
ペルテス病の闘病記を読み進んで行くうちに
長いスパンには、なるけれど決して直らない病気
ではないと言うことに気が付きました。
それから、全ての行動に家族一丸勇気をもって
立ち向かう決心が付いたのです。
記憶が薄れる前に今までの
DIY坊の闘病経過をざっと記して
おきます。
途中、間違えや変更があった場合は
都度、変更、修正を行いたいと思います。
今になっては、
私がこんな記事を書けるのですから・・・
それは、辛いことありましたが周りの人の
暖かい応援や、自分の気持ちの持ち方で
普通に闘病生活が出来ると言うことです。
大丈夫なのです。
前を向くのです。
ペルテス病は絶対に治ります。
2008/10 6歳
■ 右足の痛みを訴える
・ 整形外科で診察したが異常なし
「レントゲン検査」
2008/12 6歳
■ まだ右足が痛いのか、歩行時にびっこを引く
・違う整形外科で診察したが原因不明
「レントゲン、MRI検査」
2009/1 6歳
■ 完全に右足をかばう歩行
・ 水野記念病院ペルテス病の名医鈴木先生に診断頂く
「レントゲン、MRI検査」
結果、ペルテス病と判明
ここから鈴木先生にお世話になります。
2009/1下旬 6歳
■ 検査入院及び牽引 入院期間20日
・ 右足大腿骨骨頭付近にたまった水を牽引にて抜く
・ 大腿骨と骨頭の可動範囲を広げる為
ペルテス体操の開始(専用リハビリ法)
・ 松葉杖の歩行訓練
・ 車椅子の運転指導
2009/4 6歳 小学校入学
■ 大腿骨骨切手術 入院期間7日
・ 全身麻酔にて
・ 術後は右足首から右脇腹までギプスで固定
・ ストレッチャー車椅子をレンタルし退院
2009/5 7歳
■ ギプス外し及びリハビリ入院 入院期間14日
・ ギプスカット
・ リハビリ(ペルテス体操1回/日)
・ 歩行練習(松葉杖で階段昇降など)
・ 入浴
2009/11 7歳
■釘抜手術 入院期間3日
・ 術後6ヶ月
・ 右大腿骨のボルト抜き手術
・ 全身麻酔
ここから自宅療法として毎日ペルテス体操
朝、晩2回ずつ行い骨頭の再生を待つ。
定期診察は月1回予約制で通院。
学校は、松葉杖生活でもちろん体育は見学
あと1年もすれば少しずつ加重可能となり
いずれは運動制限も解除となるはず・・・
片方の治療の場合ではあるが・・・。
大抵は、この後入院などは無いはずで
骨頭の再生が完了すれば1/3 1/2加重と
順に歩行出来て最後に松葉杖を卒業し
運動制限も外れて完治!だと思います。
但し、個人差もありますので全てでは
ありません。DIY坊の場合はです。
ここまでが片足ペルテス発症からの
経過です。
そして、DIY坊の場合はここから
また、新たな闘いが始まりました。
2010/8 8歳
■ もう片方の左足の痛みを訴える
・右足の定期診察時に左足を見てもらう
「レントゲン、MRI、エコー検査」
・ 左足にもペルテス病発症
・ 両側発症率・・・0.0*%
・ 右足もまだ加重してはならない為
学校も車椅子での生活となる。
2010/11 8歳
■ 大腿骨骨切手術 左足 入院期間7日
・ 全身麻酔にて
・ 術後は左足首から左脇腹までギプスで固定
ストレッチャー車椅子をレンタルし退院
2010/12 8歳
■ギプス外し及びリハビリ入院 入院期間12日
・ ギプスカット 左足
・ リハビリ(ペルテス体操1回/日)
・ 歩行練習は無し(右足加重NGのため)
・ 入浴
2011/4 8歳
■釘抜手術 入院期間5日
・ 術後4ヶ月
・ 左大腿骨のボルト抜き手術
・ 全身麻酔
・ 右足の加重開始
左足のボルト抜き手術は前回の右足と比べて
約2ヶ月早い段階で行いました。
骨頭のつぶれ具合が右足よりも少なく
ずっと、鈴木先生に見てもらったおかげで
発見も早期だった理由からだと思います。
あとは、右足と同等にひたすら自宅療法にて
ペルテス体操を毎日2回行い骨頭に
加重を掛けずに生活します。
そして、右足の発症から約2年経過し
加重OKの状態(ほぼ完治)
になっても良い時期
ですが、両足のペルテス治療を行って
いる為に、松葉杖での1/2加重の加減などは
できません。車椅子を足漕ぎするような形で
除々にならして行きました。
以後「キセキ2」に続く
手術日程
2011/4/8 釘抜手術決断
左足の釘抜手術の延期から約2週間
昨日、主治医の鈴木先生から直接TELがありました。
4/12から入院し4/13手術しましょうか?
どう致しますか・・?と
震災の影響で、計画停電や余震の心配もあり
もっと先になるかと思っていたのですが、
ちょうど、その日に先生の予定が空いたそうです。
向こう1ヶ月間は、電力使用量の減少による計画停電の
回避が期待出来る事と、余震も落ち着いた・・・からでしょう。
先生のご好意で予定を入れてもらえたので、即答で手術の
お願いをしました。
が・・・しかし昨日の余震がかなり大きかった・・・。
また、変なこと考えてしまった自分がいました。
でも、ここは気持ちを入れ直して向かって行こうと思います。
DIY坊には何時もと変わらぬ態度で接し
励まそうと思っている。
これで4回目の全身麻酔による手術
最後だとは思うが
一緒に闘います。
父なる大地よ
母なる海よ
どうか、我が息子のために
そして、すべての日本人のために
静かに見守ってくれ。
3年生になったばかりで一週間の入院
何事も、早く決着付けた方がいい。
そう考えて決断した闘いであります。
がんばろう!
ファイト!