第4回 民族フォーラム実行委員会続編 | 長野青商会のブログ

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第4回 民族フォーラム実行委員会続編



第4回実行委員会の後、過去フォーラム開催した実行委員長たちが
駈けつけてくれて交流会を行いました。



交流会に先立って呉民学経済局長から激励の挨拶
総聯中央は長野フォーラムを全面的にバックアップすると
ありがたい挨拶をいただきました。


その後の交流会。
話が面白すぎて写真はこの1枚だけです。
そうそうたるメンバーが写っています。

千葉、茨城、北海道、岐阜、宮城、埼玉フォーラムの実行委員長たち。
一言一言が重みがあり、フォーラムを成功に導いたからこそ言える
名言がたくさん飛び交いました。

以下、全て記録できませんでしたが、各実行委員長たちのお言葉。


埼玉は組織がしっかりしている。しっかりしすぎて甘えている状況を何とかしたかった。
フォーラム後、青商会に対する見る目が変わった。


千葉フォーラムの時、「このフォーラム失敗しますよ」と後輩に言われた。
そこから千葉フォーラムが始まった。みんなが必死だった。
みんなが頑張っている姿を見てフォーラム失敗してもいいと思った。
この準備過程そのものがフォーラムだった。
どれだけ頑張ったかが、みんなに与える影響になる。


茨城ではフォーラム前と後の変化。
フォーラム後は学生数0のクラスは無い。
全てが解決されていないが、いろいろな成果があったと言える。
フォーラムは手を上げた時点で成功だと思っている。
長野が手を上げた時点で長野フォーラムは成功している。

フォーラムが終わって思うのは、ウリハッキョや組織から離れている人たちを
いかにフォーラムに連れてくるかが大事だということ。
フォーラムは全国の人に見せるものではなく、地元の人に見せるもの。
そこから新しいものを見つける。
今、日本学校に行っている人たちをいかに呼んで、見てもらうかが大事


岐阜は田舎でも出来るというのを見せたかった。
長野がやることで嬉しいしつながった気がする。
良いものを見せようと意識しすぎた。
ありのままをさらけ出そうということからスタートした。
出しきったと言えたときが成功ではないか。
一部の人間だけやってというのではなく、全員で頑張ったと言うのを作って欲しい。


北海道:1回目が北海道。大変だけど楽しみながらやればいい。
フォーラム後、歴史資料館を学校の中に作った。
メールサービスはフォーラム後今も継続している。
同胞たちも大喜びだった。


東北:最近英敏会長の顔色がいいので、一山越えたのかなと思った。
初めて地方青商会共同で開催した。
実行委員会の運営だけでも難しかった。
震災。震災後、大変だったけど、落ち着くまで待とうかとの議論もあったが、
あの時やらなければ今の東北同胞社会はなかった。
フォーラム後すぐに実行委員会に携わった子がウリハッキョに入れるようになった。
人数は減っているけど、フォーラムをやっていなければもっと減っていたと思う。


最後に洪萬基直前会長から
フォーラムが終わって同胞が実行委員長にありがとうと言う。
フォーラムの前後で同胞の目が変わる。
長野でもそのような素晴らしいフォーラムにして欲しい。


数々の激励を受けて更に準備に拍車がかかります。