高速道路で逆走する車のニュースを見る。ニュースをテレビで見ている側からすると、逆走する車に、「なんで?」と思う。なんで逆走できるの? なんでそのまま走り続けるの? 前から他の車が走ってきたら分かるでしょ?と。

 ところが、逆走する運転手は驚くことに、「自分が正しくて、周りの車が間違っている」と思って走っているそうだ。

 これは実に怖い。行動の前には、それを行う判断が必ずある訳だが、「正しいのは自分」を根拠に「自分は正しい」として、どんどん逆を行ってしまう。  


 世の風潮に、このような正しいのかすら考えずに、盲目的に逆へと進むようにさせている空気がある。この空気が、知らず知らず脳の奥深くにまで入り込み、テレビやスマホのSNSが、それに拍車をかけているのが現代であろう。何が本当の正しさなのかを考えさせようとする空気は無い。


 良書を読み、自分の頭で考え、自分を築き上げていこうとする者の目には、世間の方が正しい方向から回れ右をして、勝手に逆方向へ走っているように見える。それが多数派だから、本当の正しさに向かおうとしている人間が、逆に進んでいるように見えてしまう。

 自分の頭で考え、自分の羅針盤を築くには信念と覚悟がいる。魚が河を遡上するように、流れに立ち向かうには胆力がいる。戦時中や高度成長期、最近だとコロナ禍にも、世間の巨大な潮流に逆らう、本当の正しさを求めようとする人間が、常に少数だが、確かにいたのだ。流れに身を任せれば、どんなに楽か知れないが、下へ下へと流され、最後は振り出しに戻る。


 北へ行くのに磁石を見て、南に進むと決める者は、正しいのは自分と思い込んでいるに過ぎない。逆走する車であれば、その行く先はどうなるか予想はつくであろう。「なんで逆走するの?」の「なんで?」が本当の正しさへと自分を向ける第一歩になる。