カルマ(業)について②
過去記事の『カルマ(業)について』
の続きになります。
前回は「前世は無い」と書きましたが、今回は方便で前世はあるとして話を進めたいと思います。
例えば、「人殺しは悪だ」という想いに固執している人がいたとします。
これもカルマ(想い癖)の1つです。
そういう人は人殺しのニュースに怒りを感じますし、やたらとその手のニュースが目に付きます。
こういうカルマ(想い癖)を強く抱えたまま人生を終えますと、
魂に偏りが生じます。
本来、善悪は無いのですから、一方的な視点で価値観を決めている事になるからです。
生まれ変わり(輪廻転生)とはその偏ったカルマ(価値観)を修正する為にあります。
『人殺し』も多角的な視野から見たり体験したり出来ます。
◆他人事として見る視点
◆自分が人殺しになる視点
◆自分が殺される視点
◆自分の身内が人殺しになる視点
◆自分の身内が殺される視点
等です。
カルマ(想い癖)の修正の為に、いろいろな視点の人生が用意されるのが、生まれ変わりの法則です。
「そんなに怒るのなら、一度体験してみたら?一通り体験してからもう一度考えてみよう」
となるのです。
つまり様々なカルマ(想い癖)を抱えている人は生まれ変わりの修行から抜け出せなくなるのです。
批判や否定は想い癖の影響です。
想い癖が多くなると体が重く感じます。
神を信じる行為も
「信じなければいけない」と思うと想い(重い)癖になり、
「神様なんている訳ねーだろ!」と否定されたりします。
批判や否定に怒りを感じるのは、その事に対してカルマ(想い癖)があるからです。
何度も書きますが、
「~してはいけない」
「~しなければいけない」というカルマ(想い癖)は多ければ多いほど、怒りや不安や苦しみを引き寄せます。
それはまるで自分を裁くための法律のように、
身動きが取れなくなってしまいます。
地球という星は裁きのエネルギーで溢れています。
「誰の責任か」
「誰が悪いか」
「被害者は誰か」
そんなのはどうでも良いと思いませんか?
不安や怒りに同調する必要は無いのです。
人生なんてただのゲームですから。
深刻になって苦しむ必要は無いのです。
ゲームは楽しむ為にするものですよ♪
の続きになります。
前回は「前世は無い」と書きましたが、今回は方便で前世はあるとして話を進めたいと思います。
例えば、「人殺しは悪だ」という想いに固執している人がいたとします。
これもカルマ(想い癖)の1つです。
そういう人は人殺しのニュースに怒りを感じますし、やたらとその手のニュースが目に付きます。
こういうカルマ(想い癖)を強く抱えたまま人生を終えますと、
魂に偏りが生じます。
本来、善悪は無いのですから、一方的な視点で価値観を決めている事になるからです。
生まれ変わり(輪廻転生)とはその偏ったカルマ(価値観)を修正する為にあります。
『人殺し』も多角的な視野から見たり体験したり出来ます。
◆他人事として見る視点
◆自分が人殺しになる視点
◆自分が殺される視点
◆自分の身内が人殺しになる視点
◆自分の身内が殺される視点
等です。
カルマ(想い癖)の修正の為に、いろいろな視点の人生が用意されるのが、生まれ変わりの法則です。
「そんなに怒るのなら、一度体験してみたら?一通り体験してからもう一度考えてみよう」
となるのです。
つまり様々なカルマ(想い癖)を抱えている人は生まれ変わりの修行から抜け出せなくなるのです。
批判や否定は想い癖の影響です。
想い癖が多くなると体が重く感じます。
神を信じる行為も
「信じなければいけない」と思うと想い(重い)癖になり、
「神様なんている訳ねーだろ!」と否定されたりします。
批判や否定に怒りを感じるのは、その事に対してカルマ(想い癖)があるからです。
何度も書きますが、
「~してはいけない」
「~しなければいけない」というカルマ(想い癖)は多ければ多いほど、怒りや不安や苦しみを引き寄せます。
それはまるで自分を裁くための法律のように、
身動きが取れなくなってしまいます。
地球という星は裁きのエネルギーで溢れています。
「誰の責任か」
「誰が悪いか」
「被害者は誰か」
そんなのはどうでも良いと思いませんか?
不安や怒りに同調する必要は無いのです。
人生なんてただのゲームですから。
深刻になって苦しむ必要は無いのです。
ゲームは楽しむ為にするものですよ♪