人生で一番泣いただろうあの日から、365日。
一周忌供養を無事に終えました、と大分のご住職から連絡をもらい、
私は母との思い出を辿って、
生まれ育った町に25年ぶりに降り立った。
懐かしい商店街、幼少期に遊んだ公園。
住んでた団地、母のパート先の新聞やさん、
そして、何より今回の目的は、
どうしても会いたい人が居たから。
母は忙しい人だったから、私の面倒を母のお友達がみてくれてました。
母はもともとテニスの国体選手で、
結婚しても、子供を産んでもテニスの試合に出ていました。
新聞配達のパートもそもそも筋トレのためで、
団地の階段を往復するためだったとか。
そして、近所の人達を誘いまくって、
[フレンズ]というテニスサークルをつくりました。
母はテニスであちこち飛び回っていたので、
私を育てくれたのは、その[フレンズ]の仲間。
特に幼稚園の送り迎えや食事にお泊まり、
私の育ての親に、ずーっとお礼が言いたかった。
奇跡は起きました。
ご自宅を訪ねるとお嫁さんがいらして、
ご本人は不在だったのに、居場所まで車で送ってくれると言うのです。
そして連れて行ってくれた先は、
あの思い出溢れるテニスコート。
感激の再会を果たすと、
何とそこには当時のフレンズのメンバーが。
何で?何でみなさん私の事知ってるの??
母の命日に、
母が創設したテニスサークルが現存していたと知る奇跡、
その名もフレンズ。
いい供養になりました。
おかん、良かったね❗