また嫌な夢を見た | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 隣家の庭にて。羨ましい。欲しい。隣家は広くもない庭が家を巡るように。木は伸び放題だし、雑草も勝手に任せている(これらは吾輩が見るに見かねて世話している)。なのに、バラも何も見事に育っている。不思議だ。(08/12 19:20)

 

 モーム 作『お菓子とビール』(行方 昭夫 訳 岩波文庫)を11日(金)の夜半に読了。代わって、トルーマン・カポーティ作の『ここから世界が始まる』 ( 小川高義訳 新潮文庫)を読み始めた。200頁余りの本書ながら、14篇所収。冒頭の3編を読んだが、少年が書いたとは思えない地に足の着いた生活感が濃厚に。最後の1行にある種の意外性というか巧みな話の切り上げ方が印象的。

 カポーティは、比較的近年、『ティファニーで朝食を』や『冷血』を読んだ。映画などで有名過ぎて、ただの大衆作家という先入見が手を出すのを阻んでいた。勿体ないことをした。もっと早くから読んでおけばよかった。

 カポーティらしさが出ていて面白い。敢えてゆっくり日に数編ずつ楽しんでいく。といことで、自宅では、アンヌ・ブッシイ著の『神と人のはざまに生きる: 近代都市の女性巫者』や出版社の広告冊子などと交互に読んでいく。

 

 車中では、田山 花袋著/小杉 未醒画の『耶馬溪紀行―附別府 増補改訂』( のぶ工房 )を楽しんでいる。お盆ということもあってか、仕事が珍しく忙しい。中々手を付けられないが、短時間の待機中に齧るようにして頁を捲っている。

 田山 花袋は、『布団』などの作品で馴染みの作家だが、小杉未醒は聞いたことがあるようなないような。

 調べてみたら、小杉未醒は小杉放庵の別号で、若いころの雅号のようだ。

 耶馬渓は頼山陽が訪れて気に入り一気に全国にその名を轟かせた。

 参照:「本耶馬渓 - 大分県ホームページ

 

 

 ← 「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」展、チラシ (出光美術館) (画像は、「出光美術館で「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」展を観た! | とんとん・にっき」より) 小杉未醒として田山花袋の『耶馬溪紀行』に同道氏数多く手がけた画は、ネット上では見出せなかった。まだ、大成する前の画として敢えて採り上げることもなかったのだろうか。

 

 今朝未明…それとも二度寝からの目覚めの夢だから午前10時過ぎか。寝る部屋は書斎の窓際の三畳余りの空間。エアコンが効いていて寝苦しいことはない…のだが。

 

 嫌な夢だった。自分の今の(会社での)立ち位置を如実に示すような。

 何処かの倉庫か会社の敷地。俺は何をすればいいのか分からないまま、敷地内をウロウロしている。役目が分からない。うろついていたら、食事を供する場に遭遇した。空き地にテーブルがあって、だれか俺の知り合い(たち)が食事を提供している。

 そういえば俺は朝から何も食べてない。誰に呼ばれたのか、自分がここの一員なのかも分からない。とにかく腹が減っている。だけど、テーブルの前に立つ俺には誰も声を掛けない。為す術もなくテーブルを離れた。

 晴れた空…のはずなのに、ヤケに暗い。気のせいだろうか。俺はまたあてどなく彷徨った。行き場がないのだ。隠れる場所もない。時間は昼をとっくに回り、あるいは三時を過ぎている気がする。

 俺はまたテーブルへ。何か食べたい。餓えてるんだ。が、誰もがそっぽを向いている。目の前にいるのに知らん顔なのだ。

 とうとう飯を食いそこなってまたどこへともなく歩き出した。