積読の山を崩してるわけは | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 梨木香歩/著『沼地のある森を抜けて』(新潮文庫) 「先祖伝来の「ぬかどこ」に導かれて、私は故郷の島へと進み行く。その沼地で起きていたことは……連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。」

 

 梨木香歩著の『沼地のある森を抜けて』を先月30日に読了。さすが『家守綺譚』の梨木香歩の作風。偏見かもしれないが、実際に産むかどうかは別にして、産み育てるプレッシャーのもとに生きる女性ならではの発想が生み出した作品だと感じた。

 出版社の言によると、「先祖伝来の「ぬかどこ」に導かれて、私は故郷の島へと進み行く。その沼地で起きていたことは……連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説」だとか。

 命の繋がり命の引継ぎの有無を言わせぬ責務…任務が「ぬか床」(まさに多くは女性の担う生活の焦点)を軸に、ぬか床を返す母たちの手垢(?)、さらには酵母そしてバクテリアへと命の絆の淵源を辿っていく。

 母細胞が二分裂し娘細胞となるを延々と繰り返す…そのためには細胞膜の形成が不可欠だった。個であり、やがての弧を予感させる膜。膜は壁でもある。予感に過ぎなかった弧は、無性生殖から有性生殖が始まった段階で現実の弧となる。生きるためには有性オスとメスという性が不可欠となった。互いを必要とし他者であるがゆえに齟齬を宿命付けられる。

 そんな<妄想>など非日常に決まってるのだが、命の繋がりを意識したなら、命の深みに嵌って逃れられなくなる。

「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」はずがないってのは人間のエゴなのだろうか。遺伝子の川、命の川は弧たる我々を圧倒し去るのも否定できない。生きている間、奔流に抗っても個々は所詮は儚く消え去って忘れられていく。個々の思惑など命の流れに呑み込まれるばかり。

 残るのは何か。われわれは通り過ぎていくしかできないのではないか。なんて妄想が逞しくなってしまう。

 

 

 昨日辺りから右側の耳毛が気にならなくなっている、と気付いた。一昨日もハサミを耳穴に突っ込んで(何故か眼を閉じて)何とか耳毛を切ろうと苦戦。何となく耳毛を切ったようなシャリっという音……感触があったような気がしてはいた。

 しかし、ハサミを恐る恐る抜き出しても毛の欠片も見えない。……実際には切れてないのか、はたまた耳穴の奥にこびりついたのか。だけど、丸一日、耳毛が気にならないって過ごせたってことは、快挙が成ったのかも知れない……いやきっとそうだ。庭仕事で頑張った御褒美? ホントかどうかあと一日 様子を見る。

 右側の耳毛の悩ましさ。悩まされ続けて1年になる。床屋に幾度に耳毛のことは必ず依頼。でも、帰宅して安静にすると、やはり痒い……こそばゆい。クソッ、手抜きやがったな!

 今夜辺り、改めて快挙達成の報告ができるかもしれない。或いは、敗戦の弁か……

 それにしても何故、右側の耳穴だけ耳毛伸びる? (06/28 14:08)

 

 アナイス・ニン著『インセスト: アナイス・ニンの愛の日記 【無削除版】1932~1934』数ヵ月前、古書店で発掘した。というか、著名な問題の女性らしいが、我輩は本書を手にして初めて知った……これでもヘンリー・ミラーは何冊かは読んできたのに、どうして無頓着だったんだろう。読むか迷ってる。でも、信頼できる読み友の感想もある……他力本願な自分。

(頂いたコメントに)若い頃に本書を知ってたら馬力で遮二無二読んでたろう。二の足を踏むってことがちと悲しい。 (06/29 14:55) アナイス・ニンのことは作家とは見做してない。あるいは際物作家。

 というか、この二か月、古書店へも書店にも足を運んでない。読む本が無くなってきた。父の謎の蔵書の棚を探っていくか、読み残している積読の山を崩していくしかないのだ。

 

 ← 画像は僅かに咲きつつあるアパパンサス。多いときは十数本は咲くのだが…… (06/30 10:03)

 

 昨夜から雨が断続的に。今日も妖しい空。降雨で気温は高くないがモヤッとした空気。 (06/30 10:02)

 

 30日に一度の内科医院へ。血圧やHbA1cなどの数値はまずまず。体重が増え気味なのが気掛り。3週間前の月曜、庭仕事(剪定作業)中に蜂に刺された痕を示す。赤みは薄れてるが刺された痕が今も生々しい。軟膏(塗り薬)処方。

 先生曰く二度目に刺されたらヤバイかも。直ぐに病院へ、と。 (07/01 13:41)

(頂いたコメントに)確かに「蜂刺されは怖い」ですね。最初の十日ほどは日を経る毎に赤く腫れていきました。やはり病院へ行くべきだったかと後悔してました。今日の受診で次に刺されたらヤバイかも……には驚きました。庭仕事が怖くなりましたよ。 (07/01 17:33)

 

 帰宅してテレビ(BS)を早速 観たら、まさか大谷選手30号だって。月間15本塁打。飛距離150メートル。驚きの声も出ない。 (07/01 13:48)

 

 NHK-BSにて、「体感!グレートネイチャー 6億年!軌跡の絶景 〜初公開!サウジアラビア〜」を録画で。まさに絶景の連続。

「外国人の訪問が観光客にも許されるようになり、砂漠の国のイメージを覆す数々の絶景が姿を現す。絶景誕生6億年の軌跡を追う。」

「アラビアの大国の広大な砂漠の先に眠っていた驚きの絶景には、6億年の壮大な大地の歴史が刻まれていた。アラビア半島誕生の秘密を宿す、岩塔そびえる絶景の渓谷に、エメラルド色に輝く紅海。巨大なクレーターや火口が連なり、世にも不思議な白と黒に分かれた大地が広がる火山地帯。砂漠の中の岩に残された「緑のアラビア」の記憶。そして、大油田地帯誕生の謎と、赤く輝く山岳地帯。変転を重ねる大地の歴史を体感する。」

 今は砂漠のサウジアラビアだけど、一万年前は緑野の世界。当時の古代人の描いた壁画は、動植物で一杯の熱帯風だったことを示してる。 (07/01 14:09)

 

 中村武志著『いわしの頭―随筆 (1955年)』近く仕事の合間の息抜きに読む予定。例によって父の蔵書から。

 とりあえず書き手のプロフィール:

「中村武志(なかむらたけし 1909―1992) 小説家、随筆家。長野県生まれ。1932年(昭和7)法政大学高等師範部を卒業。1926年(大正15)鉄道省(のちの日本国有鉄道:国鉄)東京鉄道局に入社し、1946年(昭和21)社内報『国鉄』創刊の編集責任者になる。そのかたわら内田百閒(ひゃっけん)に師事し小説を執筆。サラリーマンと作家の二足の草鞋(わらじ)を履きながら、1953年『目白三平の生活と意見』を発表して注目される。」

「1955年『目白三平物語』を発表、目白三平シリーズが都会のサラリーマンの共感をよんだ。1964年定年退職して文筆生活に入る。1972年『目白三平の列島改造批判』、1977年『目白三平イチャモン帖』、1982年『百鬼園先生故郷へ帰る』などを発表。(中略)著書に目白三平もののほか、『ふだん着のパリ』など。平成4年12月11日没。」

 我輩は同氏のテレビでの活躍…の最後の場面を辛うじて観た……ような。著書を読むのは本書が初めて。 (07/02 03:45)

 

 小さな疑問……何故かあんパンにはゴマが。それが気になっていた。常識? 調べてみた:

「あんぱんと言えば、大抵パンの上にゴマが振りかけてあります。 そしてゴマの色には黒と白の2種類があります。実はこの色分けには意味があって、黒ゴマが振りかけてあるものはつぶあんで、白ゴマが振りかけてあるものはこしあんなのです。」

「先に述べたこしあんの白ゴマですが、実はゴマじゃなくてヒナゲシの実。つぶあんの黒ゴマは普通のゴマです。 ケシと言えば麻薬の材料ですが、完熟・乾燥・加熱したものを使っていますので無害です。」

「そもそもなぜあんぱんにゴマを乗せたのか。 パンがまだまだメジャーではなかった頃、パンを広めるために日本人に合った和菓子っぽいパンが作られました。それがの本最初のあんぱん。 そして発案した「木村屋」というお店が、「こしあんとつぶあんの違いを区別するため」と、「単純に乗せると香ばしくなるから」という理由でケシとゴマを乗せたそうです。」

「実はあんぱんは菓子パンの中で唯一、保存料が使われていない食品です。 なぜならあんぱんは糖分が多く水を吸収しやすいので、保存料を使わなくても細菌が繁殖しにくいのです。 ただし、念の為に保存料を入れているあんぱんもありますので、全ての商品が100%保存料無しではないのでご注意を。」(以上、情報は:「【雑学⑳/実はすごい「あんぱん」! そしてかかっているゴマにも秘密が】 | 京都・四条烏丸 すまや 京おばんざい教室」) (07/02 11:04)