← 『太陽庭と家シリーズ〈4〉数寄屋の庭 (1980年) (シリーズ太陽〈24〉) 』(和紙の付録付き 平凡社) 「庭園情報メディア【おにわさん】 / 1800の日本の庭園を紹介する庭園マガジン。」参照。
『太陽庭と家シリーズ〈4〉数寄屋の庭 (1980年) (シリーズ太陽〈24〉) 』を31日(水)午後に読了。二週間以上座右にあった。父の蔵書かと思ったが、中の書き込みからすると、姉の蔵書だったかも。姉はお茶の先生について習っていたし、結婚しての新居には茶室を設けたほど。
桂離宮月波楼、堀内家路地、神勝寺秀路軒路地、如庵路地、薮内家路地、裏千家路地…、西芳寺湘南亭、慈光院路地…。坪庭(京都御所、仁和寺、醍醐寺三宝院…)などが紹介されている。
本文には、八木清勝、駒 敏郎、堀内宗完、加藤允彦、牛川喜幸、森蘊らの執筆陣。
数寄屋造りの庭や屋敷とは、については、昨日の日記(「庭木の剪定に汗を流した」)に書いた。
柄にもなくこのムックを捲ったのは、日ごろ、庭仕事に精を出しているから? 今日も昨日同様庭で泰山木や杉、松、梅などの剪定(?)で汗だくに。高枝鋏や剪定鋏だけじゃなく、チェーンソーまで使って。
我が家には縁側もあるし、内庭もある。それなりに庭の雰囲気を出したいが、誰に習ったわけでもなく、親の残した唯一の財産だとばかり、頑張っては来たのだが、次第に藪のようになっている。
気になるのは、このムックで紹介される庭のどれも、苔庭が立派なこと。何故雑草が生えないのかふしぎだ。
← ハリー・クリフ著『物質は何からできているのか アップルパイのレシピから素粒子を考えてみた』(熊谷 玲美 訳 柏書房) 「弦理論の問題点とは? 自然の基本法則を完全に理解できるのか? スファレロンとは何か? ヒッグス粒子どうやって見つかったか? (中略) などこの分野の最新の成果を盛り込みつつ、素粒子物理学というとっつきにくい内容を、身近な物質とその成分の発見の歴史をとおして、肉眼世界からミクロの世界へと、最新の研究成果をわかりやすく語っていく。」
ハリー・クリフ著の『物質は何からできているのか アップルパイのレシピから素粒子を考えてみた』(熊谷 玲美 訳 柏書房)を31日(水)未明に十日余りを費やして読了。
書店で見付け、即手にした。この手の本は大好物。
内容案内によると、「弦理論の問題点とは? 自然の基本法則を完全に理解できるのか? スファレロンとは何か? ヒッグス粒子どうやって見つかったか? (中略) などこの分野の最新の成果を盛り込みつつ、素粒子物理学というとっつきにくい内容を、身近な物質とその成分の発見の歴史をとおして、肉眼世界からミクロの世界へと、最新の研究成果をわかりやすく語っていく」というもの。途中まではわくわくする展開。だけど…。
アップルパイを作るには、店で売っている素材で…じゃなく、素材をとことんそれこそビッグバンの極みまで探究する。ダークマターやダークエネルギーなどの最新の宇宙研究も当然扱っている。
本書で感じたのは、素粒子物理学が今、極めて難しい局面にあるということ。レシピの最後の材料が集められないのだ。
著者の最後の言葉が含蓄するものがやや悲壮で印象的だ:「宇宙の究極の起源は決して発見できないという考えには十分な理由があるかもしれないが、その一方で、自然が私たちを驚かせる力は計り知れない。私たちが探検を続け、宇宙をさらに遠くまで見つめ、物質の最小の要素の中まで探っていくときに、どんな新たな驚きが見つかるのかは誰にもわからない。私たちは長い道を進んできたが、この物語はまだ終わっていない。それはまだ書かれている最中だ。私たちが探検を続ければ、もしかしたらいつの日か、宇宙のレシピがついに見つかるかもしれない。」
著者は、「ケンブリッジ大学を中心に活動する素粒子物理学者。ロンドンのサイエンス・ミュージアムで7年間にわたってキュレーターを務めた。定期的に市民向け講演を行い、テレビやラジオにも出演している。2015年に行われたTEDトーク「Have We Reached the End of Physics?(私たちは物理学の終焉を迎えたのか)」は250万回以上視聴されている。ロンドン在住。」
余談だが、マレー・ゲルマンの著が参考文献に上がっているが、とっくの昔に翻訳が出ているのに(『クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系』( 野本 陽代 草思社))、その紹介がないのはケアレスミス? 吾輩は出版当時に読んだぞ。
← 今日も三時間 庭木の剪定。松、梅、杉、そして今日のメインは泰山木。昨日のメインは夾竹桃だった。泰山木など木々の枝葉の伐採なので、チェーンソーを使い、脚立の天辺に昇って。棕梠より数メートル高かったのが、見る影もなくなった。……といっても数年も経てばモッコリ。夾竹桃もだけど、あっという間に元以上に繁る。 (05/31 22:17)
スティーヴン・グリーンブラット著の『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』を読み始めた。
内容案内によると「長い間失われていた写本(ルクレティウスの「事物の本性について」)。千年の時を経た十五世紀、再びその姿をあらわした書物は、世界の針路を変えてゆく…。今から二千年前、真実はすでに記されていた。ルネサンスの引き金となった書物とひとりの男との、奇跡の出会いの物語。」
疑問は、ルクレティウスの思想に近い哲学が古代ギリシャで既にデモクリトス(やレウキッポス)によって唱えられていたはず。そうした古代ギリシャの伝統もルネサンス以降に(アラブを経由して)伝わり広まったのだったか。学び直さないと。 (05/31 13:24)
『太陽庭と家シリーズ〈4〉数寄屋の庭 (1980年) (シリーズ太陽〈24〉) 』を相変わらず。今日あたり読了かな。
パラパラ捲ってたら、中に書き込み発見。もしかして本ムックは、姉の蔵書かもしれない。当時、お茶の先生に習ってた。そういえば、結婚して新築に住んだけど、わざわざ茶室を設けていた。
数奇屋風な館や庭は、貴族の館や武士の書院造りなどに庶民感覚を採り入れたものか。仏教(栄西の「喫茶養生記」)や方丈記とか。必ず方丈……四畳半の間を誂える。庶民風にとどまるけどね。 (05/31 13:42)
誰かのミンツブで北海道の話題。学生時代、北海道を周遊した思い出が甦る。青函連絡船で海を渡って。最初は友人と二人で、二度目は一人で。 (05/31 13:46)