今はもう叶わない | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 加藤楸邨著「芭蕉秀句〈下巻〉 (1954年)」 (角川新書) 画像が不鮮明なのは、かぶせてあるパラフィン紙のせい。「人さまざまな人生は即ち旅だとした詩人は、漂泊の思ひやまず、江戸の草庵を棄てて、奥の細道へいざなはれてゆく。旅は彼の人間性や詩を完成させたが、旅は彼の生命を遂に奪った。」と帯にある。

 

 加藤楸邨著の「芭蕉秀句〈下巻〉 (1954年)」 (角川新書)を一週間を費やして読了。こういう本は読了とは言えないか。自分なりに味わった。父の蔵書の一冊ということも常に念頭にあった。そろそろ70年前となろうとする経年変化で赤茶けてる。ヘビースモーカーの父の書斎にあって、ヤニまみれ。

 それでも本を大切にする父らしく、カバー代わりのパラフィン紙も端っこが擦れているだけ。

 

 加藤楸邨の書は、句集も含め手にするのは初めて。父の蔵書にあったから本書で初めて遇したわけである。「人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた」とか。著者50歳近いころの著作。吾輩が云うのも僭越だが、的確な鑑賞に感じられた。

「奥の細道」はいろんな本で繰り返し読んできたが、思えば「俳諧七部集」を含め生涯を通しての本は手にした機会は少ない。…といっても、父の蔵書には下巻しか見つからなかった。あったけど歳月に埋もれたのか、最初から下巻しか入手しなかったのか、父に問いたいが今はもう叶わない。

 尚、加藤楸邨著の「芭蕉秀句〈下巻〉 (1954年)」に関連して余談めいたことを書いている:「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ

 

 ← 大和デパート六階で開催中の女流書家展を暫し鑑賞。流麗且つ力強い書。悪筆の吾輩は、特に書にはコンプレックス。 (05/11 20:48)

 

 快晴微風の休日。久しぶり自転車を転がして書店へ。読みたい本登録から数冊だけゲット。大半が書店には在庫なし。このところ父の蔵書などの古本ばかりだった。たまには新しい本を。 (05/11 20:45)

 

 大和デパートの主に七階紀伊國屋書店で本の物色。スマホに読みたい本登録してある本を探した。その前に改装再刊本コーナーへ。触手の誘惑にかられる本もあったが、悲しいかな値段で諦めた。本の価値として値段が高いとは思わない。単に自分が貧乏なだけ。応援した気持ちはあるのだが。

 ついで、哲学思想の一角へ。ここでも手の出る本は少なからず。でも、今の自分に読める余力があるはずもない。しかも、値段が折り合わない。貧困なる自分を情けなく感じるばかり。

 PCで本を探す。そのデータの示す場所に行くも見つからない。いつもならデータをプリントアウトして店員に頼むのだが、昨日は店員がなかなか通りかからないのだ。自分で探すと時間ばかり過ぎる。

 スーパーなどへの買い物も庭仕事もほぼサボった。その分、自転車での町中への往復、書店やデパ地下での買い物でずっと立ちっ放し。結構、体に堪えた。

 

 彼の本は全て読んできたそのマーカス・デュ・ソートイの『数学が見つける近道』 (新潮クレスト・ブックス)やチェーホフのユモレスカなどは手に入ったので、最低限の買い物は出来た。…それにしても在庫のない本の多いこと。ネットでの注文も頓挫してしまったし、メールが使えないのが困る。

 …そういえば、瞬間湯沸かし器の不具合は不便。今は未だ水道の水は出すほどに冷たい。もう少しすると、水道水は温湯に近く成る。洗い物も進むはず。

 

 ← 裏庭の謎の木。白い花がいっぱい。 (05/11 20:55)

 

 デパ地下で和菓子やら餃子やら新茶などを買って、また自転車を転がして立山連峰を街並みの合間に眺めつつ家路を辿った。今日は庭仕事なし。ただ裏庭を観て回る。書斎の窓からチラチラ白っぽい花が見える。やっと正体を確認。但し名称不明。 過日、NHKテレビで大瀧詠一の特集。録画。繰り返し楽しんできた。今日、書店と同じフロアーのミュージックショップで「A LONG VACATION」を購入。 (05/11 21:09)