天才は天才を知る | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 裏に続く小道の一角に苧環の叢。 (05/05 12:17)

 

 ドンドコと朝からやけに賑やかと思ったら町内の祭りだった。小さな神輿を子供たちが担いで回ってる。我が庭にも来てくれた。

 ふと気付いたのだが、町内はともかく我が班には高校生以下の子供が一人もいない!

 予め用意してた祝儀袋を見守りの美人の母さんに渡しつつ、決して小さくはない我が町の将来を思って暗澹たる思いだった。

 我輩がガキの頃は、町の一角で文字通りの祭りで縁日まで立った。大人もだが子供たちで溢れ返ってた。あの賑わいはもう二度と叶わない夢なのか。

 一部の勢力は憲法に自衛隊を明記せんと憲法の改正(?)を虎視眈々と狙ってる。いずれは徴兵制を実現したいのだろう。ひとりっ子か精々二人の子供しか居ないのに兵役に盗られるなんて親御さんが絶対に許さないだろう……と嘗ては思ってた……が

 貧富の格差の増大、貧困層の肥大は軍隊の待遇の良さに惹かれ、兵役をも辞さないかもしれないと暗澹たる不安が湧きつつある。日本は何処まで堕ちていくのか。アベノミクスはそのための愚策だったのか。 (05/05 12:33)

 

 ← 庭先の野草。名前忘れた。 (05/05 12:38)

 

 生活のリズムが掴めない。週に五日の出勤。夕方出勤し帰宅は丑三つ時過ぎの3時半頃。つまり大概の方の夕方前に食事し着替え車で夕方のラッシュの中 出勤する。

 夜中(……未明)の3時半頃 帰宅しシャワーを浴び洗濯し牛乳ゴクゴクして朝の五時頃 朝刊を手に寝落ちしてる。午前の9時前 尿意で目覚め、遅い朝食を済ませ洗濯物を取り込み、必要なら買い物へ。帰ったら、元気があったら庭仕事を少々。

 雑事が片付いたらリクライニングで読書……というか本を手にするも寝落ちしてる。日中は多くの方にとっての夜中に相当する。窓外は晴れ上がっていても我輩には真夜中。体は体感と理屈上の時間帯との齟齬に乱されっ放し。

 バイオリズムなんてあったもんじゃない。しかも、週に五日の出勤だが、それは平均の日数であって出勤の日は会社の都合で変転が常。つまり一日の中でも週を通してもリズムが儘ならない。

 こうした勤務体制になって一年と半年ほど。体が悲鳴をあげだしてる。このままじゃ持たない。会社は会社の都合しか考えない。使い勝手のいい嘱託扱い。自己防衛を本気で考えないとアカン。誰も守ってくれない。危機感が募るばかりだ。 (05/05 12:5)

 

 ← 真夜中に田園地帯を走る。車の窓から耳に痛いほどの蛙の鳴き声。不思議だ。蛙は一体何処から湧いて来るんだ? 田圃に流し込む水に卵が含まれてる? 深更や未明の澄明なる闇の世界。暁の予感すら漂ってる。無数の命が響き合ってる。お前もその一つだよって……それは天の声? (05/06 14:50) この画像を載せた翌日、つまり昨夜半 仕事でこの現場を通り掛かった! 滅多に…あるいは数年ぶりか通らない地区。 (05/07 10:20) ちなみに画像は、13年前、新聞配達していた頃に撮ったもの。 (「澄明なる時」(2010/05/17)参照。) 帰郷した頃、新聞配達してた。この辺りが担当地区。こういう場面に遭遇すると、バイクを停めデジカメで撮影。時間よ止まれ お前(瞬間)はかくも美しい!  (05/07 16:43)

 

 『ロダンの首―角川源義句集』 (1956年)が奥の書棚に。父の蔵書。停年頃まで俳句に凝ってた……嗜んでた。某俳句の結社に。父の蔵書に10冊以上の(恐らくは)自費出版の俳句の本がある。多くは箱入りの立派な装丁。日の目を観ることはないか。我輩がいつか繙くか。角川源義はやや有名か。

「10冊以上の(恐らくは)自費出版の俳句の本」は、俳句仲間から贈られてきたもの。父が自費出版したかどうか、分からない。 (05/04 17:49)

 

 父の蔵書に、同じ筆者名で「江戸時代の大相撲」なる本がある。箱入り。表題の「江戸時代大相撲」と同一の本だろうか?

 やはり父の蔵書で、「明治時代の大相撲」がある。筆者は加藤隆世で、出版社は国民体力協会である。こちらは似たような書名の本は読メでは見付からなかった。 (05/04 12:53)

 

 ← 山口昌男著の『「敗者」の精神史』 >> 読んでたら当然のように、山本芳翆が。これまた東京在住時代に展覧会へ。この裸婦像を購入。曰く付きの作品。東京でも帰郷してからも額に入れて飾ってある。 (05/06 15:23)

 

 我が家の屋根裏部屋に至る十三階段。もう登ることはできない。急過ぎて降りる自信がない……。

(頂いたコメントに)使われない空間が幾つも。昔ながらの農家の名残が色濃く。十近い部屋のうち、今は3つくらいの部屋だけ使う。使われない空間は勿体無い……かもしれないけど、心の……懐の奥の夢の名残でもあるような。

 屋根裏部屋の棚に中学から高校時代の本(教科書や参考書含む)が残ってる……はず。命を懸けて昇ってみるか。階段で転げ落ちたら一ヶ月は誰も気付かないかも。読メに一切 呟かなくなったら、要注意! (05/06 15:00)

 

 加藤 楸邨著『芭蕉秀句〈下巻〉』 (1954年) (角川新書) 牛歩で仕事の合間に本書を読んでる。

 いま、「早稲の香や分け入る右は有磯海」 つまり富山県富山湾。この「有磯海」は、射水市有磯とされてるが、富山県人は、「有磯海」は滑川より東側にある有磯海を真っ先に思い浮かべる。射水市の有磯もいいけど、何となく違和感も覚える。

 但し、「「有磯海」のおおもとの出所ははっきりしている。万葉集巻十七にある、大伴家持が越中で詠んだ歌である。 かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを 天平十八年秋、越中に赴任して間もない少壮の国守であった家持が、都から弟死去の報を受け、悲嘆のうちに詠んだ歌の一つである。」

 更に、「最近の実用的な地図にも、有磯海の名は大抵載っているようだ。高岡市から氷見市あたりの近海をそう呼んでいるのは、中古以来の歌枕の伝統に沿っている。あたり一帯は能登半島国定公園に指定され、砂浜も松林も保存されているのは嬉しいことである。」

 ただ、上記したように、富山県には「有磯海SA」がある。北陸自動車道の滑川市から魚津市の間にあるSAである。「有磯海という地名は富山県内には存在しない。有磯海とは大伴家持が詠んだ歌に由来する歌枕で、富山湾の海のことを指すとされ、松尾芭蕉をはじめ多くの歌人・俳人が富山湾を有磯海と呼び和歌や俳句に詠んだ。実際には存在しない地名をサービスエリア名として採用した(以下略)」

 自分の中の、長年の若干の混乱(疑問)が多少のネット検索で解消した。 (05/05 10:03)

 

 ← 庭先のジャーマンアイリス。昨日は晴れ……強風。夕方から雨ずっと。日曜も雨。庭……雨上がりにはかなりな手入れが待ってる。連休で緑を愛でにって、それって毎日 我が家でこれでもかと。 (05/07 01:37)

 

 いま読み続けてる山口昌男著の「「敗者」の精神史」にて久々小川芋銭が。河童の芋銭! 東京在住時代、展覧会へ足を運んだ。画集もマストで入手。離京の際、手放してしまった。 (05/06 14:27)

 いま読み続けてる山口昌夫著の「「敗者」の精神史」にてこの小杉未醒が大いに称揚されてる。絵のことも文のことも、更には人脈の広がりの豊饒な核としても。 (05/06 14:14)

 

 ← 庭3ヶ所に棕櫚。どれも精力有り余ってる。 (05/07 01:30)

 

 つい先程 地震。呟こうとしたけど、読メに接続できない……というかネットに接続できなかった。地震の影響? (05/05 15:03)

(頂いたコメントに)ありがとうございます。富山は震度4。我が家は築70年ほど。すっごい揺れた! ますます家が傾く……

 我輩はネットに接続出来ないことにパニクっていた。情けない。 (05/05 17:35)

(頂いたコメントに)ありがとうございます。実際、地震連発。能登半島北部の地震はもう2年 続いてます。 (05/06 00:31)

 

 

 ← 庭の片隅の謎の植物。今年も元気に顔を見せてきた。 (05/07 01:35)

 

 庭仕事……雨樋の掃除も大変。松葉や椛などの落ち葉が雨樋に溜まる。雨が降ると詰まるから、樋のあちこちから雨水が溢れる。だから随時 雨樋の清掃。脚立に昇って。珠洲市の地震……昇ってる最中に地震が来て脚立から落ちたとか。 …調べたら、脚立じゃなく梯子から落下。 (05/07 10:11)

 

 読メの呟きで本書アンガス・フレッチャー著の『文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明』を知った。気になる。 (05/07 10:39)

 

 ← 庭のシュロを勝手に安易に棕櫚と呼んできた。そう聞いてきたし。調べてみると「唐棕櫚(とうじゅろ)」らしい。トーシロじゃない! 花が弾けた? (05/07 16:17)

 

 安藤昌益に手こずってる合間に折々『太陽庭と家シリーズ〈4〉数寄屋の庭 (1980年) 』(シリーズ太陽〈24〉)で瀟洒で閑寂な庭園に佇んで頭の火照りを癒やす……癒したい……我が家の庭じゃ藪っぽくて散策しても逆効果だし。 (05/07 16:06)

 

 学生時代より気になっていた…でも手付かずだった安藤昌益著の『自然真営道』 (講談社学術文庫)。読みだして十日以上を経過。読み進むほどに頭が……。

 安藤昌益の奇っ怪ぶりに口があんぐり。99パーセント……下手すると100パーセント理解できない。訳者の野口武彦氏の懇切丁寧な仕事にも関わらず……読み手がボンクラじゃ太刀打ちできん。一体どう理解したらいいんか。 (05/07 16:03)

 

 山口 昌男著の『「敗者」の精神史』を上記の本共々読みだして十日以上。甲斐庄楠音に土田麦遷に栗田勇に……次々と懐かしい人物が。たださえ牛歩なのに道草ばかりで……ま、これが読書の楽しみか。人物が次々と登場する。人物名が読めないことしばしば。素養がなくてすみませんねーだ!

 甲斐庄楠音は十数年前、再評価……脚光を浴びた時期があり、その時に読み方を覚えた。 (05/07 16:48)

 

 ← 画像は内庭の椛。新緑がいよいよ深緑に。雨が似合う。 (05/07 16:33)

 

 今日の朝日新聞の「坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感」なる記事が興味深かった。小室哲哉の孤独と坂本龍一の天才ぶりの一端がほんの少し感じられた。これまでのいろんな識者の坂本龍一讚の言葉は(門外漢の我輩には)上滑りでまるで参考にならなかった。やはり天才は天才を知るってことか。[敬称略] (05/07 16:32)