← 崎山 多美 (著)『月や、あらん』(なんよう文庫) 「濃く、冷たく、残酷に、痛々しく、そして悲しく漂い続ける戦争の影。その呪縛から逃げることは難しい−。沖縄県生まれの著者がそんな思いと葛藤しながら綴った表題作」や「水上揺籃」など。「『月や、あらん』 他なるものたちのほうへ - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト」
寒い。今、22日の夜半をとっくに回って未明の四時近く。一番寒い時間帯か。家の中にいても体が震える。一応はエアコンが入っているのだが、手が悴む。これからこんな日々が続く。耐え難い。
昨日、五回目のコロナワクチン接種。夜半から射った箇所が傷み出しているが、体調に大きな変化はないようである。もっとも、この異常な寒気も副反応だというなら、あとは毛布に包まって寝入るだけにしよう。
崎山 多美作の『月や、あらん』を昨夕読了。書店で発掘した本。なんよう文庫 2012年刊の再版とのことで、2020年の刊。
著者のことは全く知らない。著者は、「1954年西表島生まれ。琉球大学国文科卒。「水上往還」で九州芸術祭文学賞、「うんじゅが、ナサキ」で鉄犬ヘトロトピア文学賞を受賞。ほかの著書に「ゆらてぃくゆりてぃく」など。」
沖縄文学ということで、手にした。
濃く、冷たく、残酷に、痛々しく、そして悲しく漂い続ける戦争の影。その呪縛から逃げることは難しい−。沖縄県生まれの著者がそんな思いと葛藤しながら綴った」二作品。
「戦争の記憶を抱いて」と題された、再版の後書きでも著者は書いている。沖縄戦の記憶が特に若い人などの中で薄れていく現状。一方で、「年々戦争体験者の直接の声を失いつつあることに危機感を覚える人々の努力によって、あの悲惨な体験を後世に残そうと、(中略)戦争の記憶の継承を理念とした活動が、さまざまな形で根気強く行われているのも沖縄という地域の現実である。」
上記したように著者にしても54年の生まれ。戦果の爪痕は生々しかっただろうし、戦争体験者の直接の声を聴くことも珍しくなかっただろう。だが、直接の体験者ではない。
戦禍を語り継ぐ難しさ。まして自分が体験者ではないとなると、迫力も何もかもが違う。
本書の二作品では、「シマ言葉を小説の文体に取り込み、沖縄という物語に回収されない空間・場所を創る表現によって、沖縄が沖縄であるための想像力を紡ぎだす」というが、成功しているか、微妙な気がした。
「『月や、あらん』 他なるものたちのほうへ - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト」によると、「水上揺籃」は、「無人のシマの人工的な建造物で演じられる舞台へ招く、かつての恋人・演出家の男からの手紙。元は琉舞の舞い手である「わたし」は、そこに「観衆」として招かれながら、演じ手と化す」というもの。
表題作の『月や、あらん』は、「忽然(こつぜん)と姿を消した「女性編集者」高見沢了子。その最後の仕事は、戦時中強制連行された元「従軍慰安婦」の声ならざる声を聞くこと。その仕事は自らを憑代とする自死的な行為となり、老女の声を安易に代弁することで収奪する文字、「ウソ」の言葉への抗議を孕む」もの。
共に語り手は、最初は観衆だったり、編集者仲間に引きずり込まれた挙句、自分がその編集者の仕事を引き受けると、つまりは端緒は受動的なのである。やがて本気で戦争体験に向き合うのだとしても、このような形でしか、主体的に取り組めないことを示唆(?)している。
自分の親や祖父母の思いは、例え語られなくとも、戦禍の爪痕は戦没者の何十万もの名前の数々に偲ぶしかなくとも、何処かしらで漏れ伝わり、自分の問題として血肉化する……のだろうか。そう、思っていいのだろうか。繰り返しになるが、「沖縄が沖縄であるための想像力を紡ぎだす」というが、成功しているか、微妙な気がした。
2004年より、三つのブログを運営している。年内に通算合計アクセス数400万達成を目指してましたが、ふと見たら、既に達成していました。数千オーバーしているので、あるいは先月には超えていたか。
これらの数字の大半は、サンバチーム・リベルダージのスタッフメンバーだったり、ベリーダンスチーム(のある方)のファンだった頃に稼いだもの。
自宅では、チャールズ・C.マン著の『魔術師と予言者――2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い』を読み出している。三日目にしてようやく百頁。来月後半になっても読了できそうにない。
三浦 佑之著の『古事記の神々 付古事記神名辞典』 (角川ソフィア文庫)を昨夜半より読み出した。たまたま目についた。2年前に読んだ本。読書メーターに登録もれ。今日から再読しようとして漏れに気付いた。古事記や風土記などの日本の古典は我輩の読書分野の大きな柱。三浦氏の書は特に好んで読んできた。 (12/22 23:27)