民謡歌手の中村優の歌に母の歌声を思い出す | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← ピエール・ルメートル著『死のドレスを花婿に』(吉田恒雄訳 文春文庫) 「『その女アレックス』の原点となる恐怖のイヤミス。狂気に駆られて逃亡するソフィー。聡明だった彼女はなぜ全てを失ったのか。悪夢の果てに明らかになる戦慄の悪意とは。驚愕の傑作。」

 

 ピエール・ルメートル作の『死のドレスを花婿に』を19日に読了。自宅で。レベッカ・ウラッグ・サイクスの本「ネアンデルタール」と交互に読んできた一冊。

「『その女アレックス』の原点となる恐怖のイヤミス。狂気に駆られて逃亡するソフィー。聡明だった彼女はなぜ全てを失ったのか。悪夢の果てに明らかになる戦慄の悪意とは。驚愕の傑作。」と出版社は謳うが看板に偽りなし。

 息苦しい叙述が続くが、ピエール・ルメートルならではのとんでもない展開の連続。そう来たか…。結末の付け方に異論はあろうが、ここは作者の独擅場だから文句の付けようがないね。感想など無用。最高のエンタメ作品。

 

 崎山多美作の『月や、あらん』 (なんよう文庫)を昨夜…今朝未明から読み出した。

 書店の一角で発見。沖縄文学ということで衝動買い。未知の作家。

「言葉の内に声の痕跡を刻み付ける。「沖縄文学」を代表する不穏な美しさに満ちた一冊。(中略)シマ言葉を小説の文体に取り込み、沖縄という物語に回収されない空間・場所を創る表現によって、沖縄が沖縄であるための想像力を紡ぎだす。」 (12/19 10:51)

 

 ← 画像は昨日 楽しんだ長岡社中の中村優さんらの模様。母もこのように……と、感慨深く……。 (12/19 11:02)

 我輩の母は民謡に長く携わってきた。歌と三味線。日赤のボランティアや御座敷列車など。情けなくも我輩は東京在住で、現役での母の舞台での晴姿は観たことがない。

 母の三味線演奏は聴いたことがない。ただ幸い、姪っ子の結婚式で母の民謡を聴いた。既に民謡の現役を引退してたが、その声量に驚いた。

 民謡の全国大会などで優勝の中村優さんの声量は凄いのひと言。節回しというのかこぶしというのか、(歌の分からぬ我輩が褒めるのも僭越だが)素晴らしい。

 民謡の独特な節回しやメロディーは何処からどのようにして生まれたのか。農作業や漁業(船方節)、馬子唄(馬方)……。子守唄にも民謡があるのかな。

 画像の真ん中近くで三味線を引く男性は、歌も披露してくれた。あの民謡ならではの高音部の(決して裏声にならずに)唄いきる見事さは素晴らしい。

 日本の演歌歌手の歌の実力は、かなりを民謡や浪曲などを土台か背景にしているとか。地味な演目になりつつある……民謡こそが日本の歌謡の大黒柱であり続けるのだろう。

 家の何処かに古いビデオテープがあったはず(再生したことなし)。朽ちる前にデジタル化しないと。一体、何が録画されているのか…。 (12/19 11:26)

 

 

 ← 昨日とは一変した庭景色。生ゴミ捨てやら納屋へスコップ取りに……はたと気付いた……スノーダンプ 買ってくるの忘れてた! 昨年 あまりの酷使にボロボロに。今から買いに行っても売り切れなんだよなー。 (12/19 13:51)

 

 ウィリアム・ゴールディング作『後継者たち 』(ハヤカワepi文庫)が、長らく読んできた素晴らしきレベッカ・ウラッグ・サイクスの本「ネアンデルタール」にて紹介されていた。

「『蠅の王』のゴールディングが描く人類の原罪】 冬が去り、春が来た。首長のマルに率いられた一族は、海辺から山のなかへと移動してくる。平和で平穏な季節は過ぎ、そこでは嫉妬、怨恨、野心が渦巻く。そして川の向こう岸には、彼らにとってかわろうとする新来者が……ネアンデルタール人と人類の遭遇と軋轢そして闘争を描く奇想天外な寓話。」……ネアンデルタール人像は、この10年で劇的に変貌した……しつつある。 (12/19 16:40)

 クレア・キャメロンの本も言及されているが、未訳のようだ。 (12/19 16:42)

 

 ← 和田松次郎著『和田松次郎の人として』(TC出版プロジェクト)「社会党でない社会党と云われた男の物語 ~真の革新とは何か~」「和田松次郎」の文字は清水公照長老の書。2008年5月刊

 

 和田松次郎著『和田松次郎の人として』(TC出版プロジェクト)を17日(土)に仕事の車中にて読了。

 ひょんなことでゲットした本。自伝。富山市出身の人物なので、馴染みの地などが出てきて、我輩も組合の執行委員長の職にあったこともあって親しめた。

 自伝なのだが、関係者の協力で成った本。書こうと思い立ったのは七十歳だが、七十二歳の時、交通事故の後遺症で頸椎変形症、さらには脳梗塞なり手足が不自由な身となった。そこで、長く関係のあった「とうざわ印刷」に話を持ち込み協力を得て成った本。

 ネット検索では情報が見出せない。本書末尾の略歴の一部を示す:

 大正13年1月2日生まれ。富山商業高校卒(昭和16年)。伊藤忠商事入社。天津支店勤務。呉羽紡績(のちの東洋紡績)へ。その呉羽工場勤務。呉羽紡績労働組合呉羽支部執行委員長に。全繊同盟富山県支部長などを経て富山地方労働委員に。昭和33年には富山市長選挙候補者に。柳町小学校PTA会長。東部中学校PTA会長。富山県PTA連絡協議会成人教育委員長を経て、昭和48年に日本PTA全国評議会会長表彰。日本社会党富山県本部副委員長。ついには富山県知事選挙候補者に推される。昭和51年、富山工業高校PTA会長。昭和53年文部大臣表彰。

 昭和46年の富山市長選挙の際には、改井英雄市長誕生に寄与した。革新首長の誕生である。吉田実県知事の誕生にも寄与している。困窮し立ち行かなくなっていた児童養護施設である社会福祉法人 ルンビニ園の再生にも大いに活躍した。

 東大寺の二〇七、二〇八世管長であった清水公照老とも親交があった。

 市長選挙や知事選挙に立候補してきたが、オレがということでなく、推されての出馬。党派の苦境に已む無く。いろんな活動をされてきたが、縁の下の力持ち的な役割に徹してきたようだ。どんな交渉事をする際も、その心は、本書の表題にあるように、「人として」が原点となっているとか。

 大正13年の生まれなので、存命であるなら98歳のはずだが、詳しい情報がない。嘗ての社会党にはこういう人物が居た。しかも、富山市の人物。和田氏に勝手に親近感を抱いてしまった。