創作無くして人生なし | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 遠藤周作/著『沈黙』(新潮文庫) 「神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編」

 

 11月1日も過ぎ、二日。今年もあと二か月を切った。昨年までの週に三日出勤の隔勤から、時間帯こそ夜間ながら、週に5日の出勤の日々に変わった。何とか十か月を(大過なし、じゃなくギックリ腰もあったりして)乗り切った。

 感覚としては毎日夕方には出勤で、慌ただしく感じる。ブログも週に二日、読書メーターに呟いたものを纏めて転記。読書の感想だけ、こうしてブログ日記の形で、パソコンに向かって書いている。

 創作に向き合いたい。そのためにタクシードライバーという仕事を選んだのだし。創作無くして人生なし、である。

 なんとか生活のリズムを整えないと、まずい。

 

 遠藤周作著の『沈黙』を今月1日に読了。拾得本。高名過ぎて、読むタイミングを逃してきた本の一冊。

「島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。」というもので、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説である。

 司祭が踏絵を踏むという衝撃的な結末を不快に感じ、出版当初のカトリック教会からの反発は非常に強いものがあったとか。

 1971年に篠田正浩監督により、『沈黙 SILENCE』の題名で映画化された

 司祭に限らず信徒たちは、幕府などの弾圧を受け、数知れない<犠牲者>を生んだ。あなた方が厄介な布教をしたから彼らは非業の死を遂げたのだ。瀬戸際になっても、神は沈黙を守り続ける。キリストも顕現はしないではないか…。

 吾輩は、神が存在するかどうかは全く考えない。存在しても、人間もアリもウイルスも同等に見做すだろう。人間を優遇するなんて、人間のエゴだと思っている(あるいはキリスト教特有の人間…白人優先主義)。沈黙は当たり前で当然なのだ。人間も他の動物やバクテリアや虫けら同然に生まれ死んでいく。神も仏も不在。あるのは自然だけなのだ。自分には本書のような神への問いはありえない。生きている中で心ある人や生き物と心を通わせたらそれで十分。十分過ぎる。

 

 ← 和田利男著『漱石の漢詩』(文春学藝ライブラリー)「「幼少期は英語より漢学が好きだった」と語る漱石。未だ色あせないその漢詩の世界の魅力を、杜甫や王維と比較しながら縦横に論ずる。かの吉川幸次郎氏に先駆けた漱石研究の金字塔!」(解説・齋藤希史)

 

  和田利男著『漱石の漢詩』を11月1日夜、読了。漢詩の好きな小生、漱石の漢詩に予てより関心があり、書店で、「漱石 漢詩」で検索して本書を発掘。装丁が地味だが、帯に漱石の写真と共に、「吾輩は小説よりも、漢文学で身を立てたかったのである」というキャッチ―な言葉。 

「「幼少期は英語より漢学が好きだった」と語る漱石。未だ色あせないその漢詩の世界の魅力を、杜甫や王維と比較しながら縦横に論ずる。かの吉川幸次郎氏に先駆けた漱石研究の金字塔!」は伊達じゃなかった。

 漱石の傾倒した、あるいは魅入られた先人に、良寛、陶淵明、王維、杜甫、寒山、高青邱らがいる。このうち、王維、寒山、高青邱の漢詩は詠んだことがない。高青邱など、何者なんだ。

 著者は、漱石の漢詩は凄いと評した上で、以下のように語る:

「そもそも漱石の漢詩は、彼のあらゆる文学作品の中で、最も純粋に自己を表現した文学である。人に読ませるために作ったものでもなければ、人から勧められて平仄を合わせたわけでもなく、全く自分自身の要求に従って表現したものだからである。漱石の本音はその漢詩にのみ吐露されていると言ってよい。だから漱石を研究しようとするならば、彼の漢詩を無視することはできないはずである。それだのに漢学者も国文学者もこれを研究の対象として採り上げようとしない。よし、それならおれが一つやってやろう、と菲才を自ら揣(はか)らず、無鉄砲にも頭を突っ込んだのが昭和十一、二年の頃からであった。」

 著者の和田利男は、小生には全く未知の人物。「明治37年栃木市生まれ。慶応義塾を経て大東文化学院で漢文学を専攻。滋賀師範学校教授、群馬大学教授などを歴任。自らの文学的創作活動の傍ら、深く傾倒していた漱石・子規・賢治を新しい角度から照射して、草分けとなる研究著述を行った。平成8年歿。」

 漱石全集は(90年代は岩波版を持っていたが漢詩の巻は読まなかった。)角川版の全集は全巻読んだが、これには漢詩も俳句もなし。今回、一念発起で本書を読んだ。この上は、関連本を読むつもり。

 環境問題も、人間のために解決するのではなく、生き物全般のため。ノアの箱舟には、ウイルスも含めて乗せるべきだろう。

 人間は滅亡しても自業自得だが、他の生き物を巻き添えにしてはいけない、という立場なのである。

 

 

 ← ヘレン・ピルチャー著『Life Changing ヒトが生命進化を加速する』(的場知之 訳 化学同人)「私たち人間が,ほかの生物の進化速度を増大させているというショッキングな事実を,(中略)さまざまな事例を取り上げて紹介」「未来に向けてこれからどう行動すべきか考えさせられ」る。

 

 ヘレン・ピルチャー著の『Life Changing ヒトが生命進化を加速する』を10月29日に読了。昨年の夏に刊行されていたが、先月書店で発見し即入手。「私たち人間が,ほかの生物の進化速度を増大させているというショッキングな事実を,(中略)さまざまな事例を取り上げて紹介」し、「未来に向けてこれからどう行動すべきか考えさせられ」るという本。

 著者はロンドンの精神医学研究所で細胞生物学の博士号を取得、再生医療研究企業の研究員を経るなど、医学や生物学を中心に執筆活動をするサイエンスライターで、コメディアンというユニークな経歴の人物。それだけに読ませる。

 口絵は18枚あるのだが、本文には、イラストレーターの作品が載っている。

 読んでいる最中にも何度も危機感を覚え、啓発される本でもあり、多くの方に読んでほしいと、繰り返し呟いた。ヒグマとシロクマの雑種の進行、シーモンキーの話、ブロイラーでの鶏の飼育で、地上の鳥の数は圧倒的に鶏が占めている…後世"人新世"ではなく"鶏新世"と呼ばれるかも、など。シベリア永久凍土が溶け始めているのは、近年、伝えられているが、その防止のためのロシアでのユニークな試みは、(成功するかどうか分からないが)もっと日本でも伝えられるべき情報だと思った。

 面白い以上に読まれるべき本だろう。