開かずの押し入れから懐かしい… | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 裏庭のガクアジサイ。余程覗き込まないと見えない場所にひっそりと。

 

 来月、13回忌法要。腰痛を押して準備に大童。ギックリ腰の切っ掛けの障子紙も買った。固まる土10袋、スリッパ。墓地の下見、トイレ掃除、中元。家の掃除もしなくっちゃ。

 固まる土10袋の積み下ろしも大変だったが、昨夜、寝室の開かずの戸(押し入れ)を開けると、なかからリベルダージュのスタッフをしていた頃の衣装が出てきた。浅草サンバカーニバルにスタッフした名残。その他、数年前まで使っていた夏用の衣類が多数。懐かしいというべきか。

 とりあえず洗濯した。

 

 昨夜も片付け作業で疲れ、今日は庭仕事も墓地の草むしり(掃除)もしないつもりだった。でも、枝葉の伸びが酷く……ということで、剪定鋏を持ち出し、カエデなどの伸びた枝葉を剪定し始めた。

 すると、虫に喰われてる果樹…桃?… 発見。

 葉っぱはほぼ食われ、枝葉の大半が蜘蛛の巣のような細かな白っぽい網に覆われていた。大慌てで、剪定鋏で枝葉をカットしたが、果樹は丸裸に。ほんの一週間前は異常なかったのに。梅雨入りしたが、雨が降らず、木々や弱っているのかもしれない。

 

 

 ← 小泉 八雲 (著),『日本瞥見記〈上〉』(平井 呈一 (翻訳) 恒文社) 「小泉八雲来日後の第一作。印象がきわめて新鮮で、読む者を歴史と風土への小旅行に誘う。日本をあらためて見直させてくれる好著。」

 

 小泉 八雲 著の『日本瞥見記〈上〉』を本日(日)読了した。日に数十頁ずつ読んできたが、昨日今日とで残りの200頁余りを一気に。余談だが、初読だと思っていたが、300頁余りを読み進めていて、既読だと気づいた次第。校正ミスの箇所に鉛筆で印をつけていた。

 ま、新鮮な感覚で読めたので、自分の記憶の悪さに今更ガッカリはしない…。

 

 八雲には、「日本の心」「日本の面影」「心」など明治の日本を好奇心たっぷりで観て回り、卓抜な表現力で描いた本がある。そんな中、本書はあまり読まれてない? 読んでて名著だと感じる。ただ、上下巻で900頁近いのが難なのか? あるいは題名が読めないとか? 

 長大だけと読みやすい。文章に惚れ惚れする。

 八雲の文章がまずいいのだろうが、平井呈一氏の訳が素晴らしい(但し校正ミスが目立つのが残念)。

 

 民俗学などなかった時代に、ひたすら日本を好事家の目で見て回り、日本人には当たり前の風物や習慣、大概の外国人には興味の対象ではない歴史や伝統の粋を探求し続けた。訳者の平井氏の語るように、柳田国男や折口信夫とはまた違った意味で詩人…文学者の目で失われつつある古き良き日本の姿を書き残した。

 ハーンらとやや時代の重なるイザベラ・バード(1831年 - 1904年)は、「1878年6月から9月にかけて、(中略)東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅し」、『日本奥地紀行』を遺してくれた。

 ハーンがやや詩的というか夢見がちに描いた日本の風俗をよりリアルに描いてくれていて、両者を読むとよい対比になり古き日本の理解に資するだろう。ハーンはバードの著は読んだだろうか。

 

 夜半前から早速、『日本瞥見記〈下〉』へ。依然として読み続けているイアン・スチュアート著の『不確実性を飼いならす——予測不能な世界を読み解く科学』共々楽しむ。