ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』に眩暈する | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

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← ウンベルト・エーコ 著『バウドリーノ (上)』(堤 康徳 訳 岩波書店 吾輩は文庫本で読んだ) 「神聖ローマ皇帝の養子となったバウドリーノが繰り広げる破天荒な活躍.エーコの中世世界が再び動き始める」とか。

 

 寒い! 家から……じゃなく、部屋から出られない。暖房があるのは茶の間だけ。隣の台所も脱衣場も廊下も寒い。こうなったら、今日は居眠りと読書に専念する。庭仕事もしないぞ! しない……たぶん、しないと思う。ちょっとはする…かも。
 
 我が家で唯一稼働する茶の間のエアコン。温度は、22度。十分、あったかい! 人は温度設定は何度なんだろう?

 

 ところで、庭仕事だが、やはり、案の定、一時間以上、やってしまった。

 本格的な冬の到来に向けて、庭には、すべきことかまだある、樹木の剪定(刈り込み)は終わったとして、雪吊りはどうするか。暖冬と予報されているが、さて。外の水道管(蛇口など)は、凍結防止のため、藁かビニールを被せないと。表の用水路のグレーチング、外さないと。除雪の雪の投棄場所の確保のためにね。今秋は、樹木の伐採、かなり思いきってやったから、積雪でたわんで、電線(引込線)にのし掛かる心配がなくなって、そこは安心材料かな。

 

 駅のトイレを利用して。男たち、用を済ませてから手を洗う奴の少ないこと! 必ず手洗いする我輩は男性として異常なのか? 立って用を済ませる便器。なぜ、床面に零れているのか。だって、男性のは長短はあっても棹だよ、狙うべき池面も小さくはないよね。駅のトイレは頻繁に掃除されているし。

 

 我が家のトイレには、腰掛けと立ってするタイプとの両方がある。腰掛けしかないのなら、座ってすべきですね。あと、トイレで用を済ませたあとは、手を洗うのはもちろんだけど、ちゃんと拭かないとね。濡れたままだと、菌が潤いを求めて皮膚の下層から(あるいは空中から)集まって来て、増大する。

 

 ウンベルト・エーコ 作の『バウドリーノ (上)』を読んだ。
 最初は20頁や30頁を読むようなペース。この日月と連休で、残りの250頁ほどを一気に。半ばころから物語世界に少しずつ馴染めてきた。
 語り手たちの、日本人にははるか遠い世界が舞台とする、吾輩の素養ではまるでチンプンカンプンの、機知に富み過ぎた会話にも慣れてきた。

 

 まるで予備知識のない、中世ヨーロッパ、特に諸邦に分裂乱立していたイタリアを舞台とするピカレスクロマン。ドイツで云えば近代まで残っていた領邦国家(神聖ローマ帝国や法皇支配のもとで乱立する世襲的なミニ国家)状態の中世。


 読んでいて背景や舞台に馴染みがなく、何が描かれ語られているのか、ついていくのが大変だった。上巻の半ばまで来て、ようやく見えてきた(笑い…← 自嘲風)。
 思いっきり機知に富む会話、奇抜な発想。陰謀奸計策略深慮浅慮熟慮不信信頼盲信狂信の渦巻く裏切りが当たり前の世相の中。

 

 バウドリーノなる、過去の遺制や形骸となりつつある権威や(本物かどうか怪しい)聖なる遺物を弄した、真っ当らしい文書や策謀を練り上げることに長けた人物が主人公。尤もらしくでっち上げられたら、その文書や言動は現実の世界で大きな効力を持つ。……これは、まさしく創作の極意ではないか。奇天烈な発想だろうと、説得力とリアル感を周りに与え、現実にも影響を与えてしまうならば避けることはできない。妄想と想像や創造された世界との境は溶解していく。

 誰が一番、説得力ある嘘を吐き周りを信じきらせるか、その混沌に翻弄されることを楽しめる、ゆとりが読み手にあるかどうか、それが問題だ。

 

 我輩、誤読している可能性、大!

 

 …などと昨日、メモったが、まるで雲をつかむような気分で書いているのが見え見えである。
 ちゃんとした感想は(書けるかどうか分からないが)、下巻を読んでからにする。

 

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← 佐藤春夫/著『田園の憂鬱』(新潮文庫) 「都会の喧噪から逃れ、草深い武蔵野に移り住んだ青年を絶間なく襲う幻覚、予感、焦躁、模索……青春と芸術の危機を語った不朽の名作」とか。

 

 佐藤春夫著の『田園の憂鬱』を近く読む予定。半世紀以上ぶりの再読である。
 最近、読んだ本の中で、佐藤春夫のこと(才能)が話題になっていた。気になるので、書庫で探し出してきた。明日、車中で読む予定。活字が細かい! 活字がぎっしり! 昔は肉眼で読んでいたんだなー。内容からしても、自宅で読んだ方がいいかな。