マタイの法則 | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

「富める者はますます富み、貧しき者は持っている物でさえ取り去られるのである」

―新約聖書マタイ伝13章12節―


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→ 富山市の中心街では、昨日からイルミネーションが始まった。今年は一層、電飾の種類も増えているようだ。


 経済(学)では、これはマタイの法則とか、マタイ効果と呼ぶらしい。

 聖書を奉じる人は、この場合の富とは、心の豊かさを言うのだという。貧しき者とはだから、心の貧しい者という意味なのだと。


 つまり、「ここでいう「富」とは、本来は精神的な富なのです。正しき人の言葉に耳を傾け、理解し、悔い改められる人間なら、言葉を与えられたらそれを何倍にもして役立てることができるが、「馬の耳に念仏」な人にはいくら言ってもそれを活かすことができない、ということ」だというのだ。


 それを心の貧しい人に説くために、分かりやすいようにと経済(カネ)の喩えを持ち出しているのだ…云々。
 これでは救いようがないので、山上の説教の冒頭で、『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである』(マタイ5:3)などと救いの余地を残している。
 何とかも方便というところか。


 まあ、宗教的な説教の話は小生には荷が重すぎる。


 上掲の言葉は、経済(学)において、一般に分かりやすいたとえとして持ち出されることが多いようだ。
 資本主義の世の中においては、どうみても、金持ちが有利なように出来ている。
 オール電化だとか、電気自動車だとか、お掃除ロボットだとか、太陽光パネルだとか、いろいろあれば便利なツールは出てくるが、その元手となるもの(カネ)がないと、机上の空論、絵に描いた餅にしかならない。
 元手があれば、それを資本にカネがカネを、利便性は一層の利便性へとつながっていく。
 
 一時期(ブッシュ大統領の頃)、税金について、金持ち優遇策が打ち出された。所得税などが大幅減税となった。その際の方便は、有能なものにドンドン伸びてもらって、経済を活性化してもらい、やがてその恩恵が貧しいものにも分け与えられていく、という理屈だった。


 が、一向にそういう流れにはならず、「富める者はますます富み、貧しき者は持っている物でさえ取り去られる」ばかりだった。貧富の格差が生まれ、その格差が増大する一方だった。
 その後、民主党(オバマ)政権になって税制が変わるかと思ったが、共和党の抵抗に遭って一向に改善はされていないようだ。
 
 さて、第2次安倍内閣が誕生して、日本の金融政策は大きく転換した。
 市場に大量のマネーを供給して、なんとかミニバブルを発生しようと躍起となってきた。
 その効果はあったのか。株の面では効果が出ているようにも見える。


 だが、実態はどうなのか。


 日本ではさすがにあからさまに金持ち優遇の政策は打ちにくいので、その代わり、ミニバブルの恩恵、為替相場の円安傾向の恩恵に預かれる、一部の金持ちと大手企業にはカンフル剤的効果が見られるようだ。
 企業の利益は、ダイレクトに給料には繁栄しづらいものの、ボーナスなどの形で配分され、年収もアップしつつあるとか。


 だが、これも、ほんの一部の企業に留まるのは自明に思える。
 アメリカのようにあからさまに金持ち優遇政策は採らないものの、富める大手や銀行などは富むが多くの中小企業などは蚊帳の外のままだ。


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← 家の庭先から暮れなずむ東の空を撮ってみた。立山連峰が鮮やかに望めた。


 アメリカで観られたように、金持ちが裕福になっても、市中にカネが回らない…どころか、ますます肥え太るだけであって、中産階級がやせ細り貧乏人が増えたように、大手は懐が豊かになっても、それは全国展開、世界戦略を視野に入れる以上は、投資のための、あるいは万が一のための準備金としてプールされていく。


 貧乏人だろうが、金持ちだろうが、それぞれ事情は違っても、どんなにカネが手元にあっても(なければなおのこと)、将来の生活不安は決して払拭されることはないのだ。


 なんて、外食してみたい、映画に行きたいj、美術館へ足を運びたい、車の老朽化した部品も交換したい、本を書店で実際に手に取って選んで買いたい、なんて夢がまるで実現しそうにない、そんな貧乏人の愚痴を少し遠回しに漏らしてみた。