愛用の自転車のこと | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 数日前のこと、裏の畑の草むしりをひと段落させ、玄関に戻ってきた時のことである。
 何か、違和感を覚える。視線が自分にツンツンする感じ。
 見ると、玄関先に止めてある自転車の後輪カバーの上にちょこんとスズメが止まっている。
 なんとなく、自転車に改めて関心が湧いた。


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→ スズメ君、畑仕事から戻った小生に、ご苦労様って、言ってくれてるの?


 この愛用の自転車は、父の愛用車で、車を運転しない父は、近所は徒歩でだが、街中への用事を果たすとか、買い物などには自転車を活用していた。
 どうみても、ママチャリ風だが、母は自転車には乗らない。身長150センチもない母には乗れない大きさ。


 母は恐らく、自転車には一度も乗ったことがないと思われる。


 駅前の近くに、父が長年、打ちこんできた篆刻の師匠(?)に当たる方(の店)があるので、誰かに車で送ってもらえるときは車で、そうでないときは、自転車を駆ってその店へ向かったようだ。


 何年前に入手したものか定かではないが、二十年は経っているのではなかろうか。

 錆び付いている個所も見受けられるし、度重なる転倒で、フレームがやや歪んでいる気がする。
 転倒と云っても、玄関前にサイドスタンドで止めてあるだけなので、強風が吹き荒れる翌朝には、倒れている哀れな姿を見受けることがしばしばだった。


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 今は、一人暮らしなので玄関の中はスカスカなので、荒天が予想される時は、予め自転車を玄関の中に収めることも可能だが、父母らが健在だったころは、あれこれと置いてあって、自転車を収めるスペースはなかった。


 この自転車、フレームもだが、タイヤ自体が劣化している。
 空気を入れてもすぐに抜けてしまう。
 つい先日、空気入れで空気を入れていたら、何やらスポッという感じ、あるいはスカッという感触があった。


 空気がまるで入らない。車輪の空気入れのバルブが外れたのではなく、空気入れの中で何処かの接続が切れたようである。


 空気入れ自体の故障(不具合)が生じたのである。
 パンクで自転車屋さんへは、幾度かあるが、空気入れの修理のため、自転車屋へ行く人は稀ではなかろうか(断定は避けておくけれど)。


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 父は乗らなくなった自転車だが、父母の晩年の頃は、小生が愛用していた。介護というと大袈裟だが、家事万般を庭や畑仕事を含めてやっていた。
 買い物へはしばしばである。


 乗り手の代替わりに際し、自転車に備え付けの買い物カゴは一か三人分の買い物には容量が足りず、カゴだけ交換して使い続けてきた。


 父は買い物などは、近くの商店街を利用していて、それほど大きなカゴは必要なかったようだ。
 小生は、一家三人分のための用事を果たすため、大き目のカゴでないと役に立たないのである。


 父母共に3年前の夏、この世のものではなくなってしまった。
 今では自転車は父の遺品の一つとなってしまった。
 大事に乗りたいが、体重の重めの小生が乗ると、自転車を苛めているような気がして、気が引ける。
 といって、乗らないで放っておくのは、もっと冷たい気がする。


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← チェーンまでもが錆びている。日ごろの手入れの悪さが如実に出ている。


 空気入れはきっと自転車を買った際に一緒に入手しておいたのだろう。
 空気入れが故障して、次は自転車の番なのだろうか。


 空気入れを新たに買うか。でも、自転車のタイヤ(のゴム)が相当にへたっている。
 買い替えの時期に来ているのは明白だが、決断がつかないでいるのだ。