「第42回日展 富山展
」を観てきた。
美術展を観に行ったのは、久しぶりである。
東京在住時代も、最後の数年は、足が遠ざかっていたし(美術展へ行くと、ついカタログを買いたくなる。それが負担になっていた)、富山に帰郷した3年前からは、家のことがあって、気が休まらず、美術展どころか映画館さえ、全く足を運んでいない。
→ 遠藤原三 「埋み火」
ん? 昨年、ネット上の知り合いの方の作品が展示されているということもあり、国際会議場内で行われた美術展に足を運んだことがあったし、「富山ゆかりの画人岸駒-岸家伝来の絵画資料をまじえて- - 富山県富山市の展覧会 」にも足を運んだから、全くというのは、間違いか。
それなのに、「第42回日展 富山展 」へ行ったのは、日展の富山展が隔年にしか開催されないこともあるが、昨年の不幸以来の家のゴタゴタも大よそは片付いたし、曲がりなりにも正業に就いたので、たまにはいいかなと思ったからである。
正業といっても、収入は一般の富山県人の平均年収の半分にも満たない。
← 三沢 忠 「残雪」
生活はギリギリ…でさえ、ないかもしれない。
それに、隔勤で、一日ごとにほぼ終日、仕事、その翌日は一応の休みという勤務体系が続く。
休みといっても、終日の仕事の翌日だから、仕事があけて帰宅したらグッタリして睡眠、日中は(当然、外は明るいし)ボンヤリして過ごし、夜になるともう、翌日早朝の出勤に備えて早めに寝る。
なので、休みの日は、丸一日の休みのはずが、ボヤーとしている間に日が暮れてしまう。
起きている間(というより、かろうじて目覚めている間)は、やたらと広い庭や畑の草むしりに追われる。
→ 樋口 洋 「白い函館」
畑や庭を一回り、草むしりや掃除(落ち葉掃き)、落ち葉や枯れ枝の片付けをし終えるのに、一週間を費やす。
一週間といっても、隔勤なので、実際には二週間という日にちが過ぎている。
二週間の間には、最初の頃にやった草むしりの労苦も水の泡というか、もう、草が伸びて目立つようになっている。目立つ雑草を毟った際には小さかった雑草の芽が二週間の間に降った雨で一気に伸びるのだ。
雑草に限らないのだろうが、雨の威力を実感させられる。
← 清水 優 「海鳥の声が聞こえる」
雨上がりの際に外に出てみると、つい先日までは小さかった草がこれでもか、というほどに伸びるのである。
憎たらしいほどだ。
一方、球根や種や苗を植えたりした植物は、盛りを迎えたかと思うまもなく、気がつくと花の盛期を過ぎて萎れてしまった哀れな姿を目にしてしまう。
あれほど庭中を賑わせていた、水仙の花々は、今月早々には萎んで茶褐色の萎びた姿を晒している。
→ 塗師祥一郎 「雪山」
チューリップは、我が家には三箇所の花壇に植えてあるのだが、車道に面した花壇のチューリップは全て涸れてしまっている。
残る二箇所の花壇のチューリップは、幾つか花びらが開き切っているものがあるが、なんとか遠目にはチューリップの花畑風に見えるようである。




