数ヶ月ぶりに卵パックを買った。久しく調理しないので、卵は眼中になかったのだ。目玉焼き作るの得意なんだけど、ふと、ご飯に生卵をかけて食べたら美味しかった。ずっと昔、よく卵かけご飯、食べたっけ。
父が長年、集めてきた、お酒のラベル。その本の一部を、座敷に飾ってみた。一部たって、百枚。全体で何枚あるか、見当が付かない。
少なくとも千枚はある!
→ 「クレオメ 」 昨年の台風で我が家の裏庭の杉の木(樹高10メートル以上)が地上5メートルのところで幹が折れた。その枝葉がこの花の上にまともに倒れ掛かった。悲惨な状態だったはずなのに、ちゃんと今年も咲いてくれた。それにしても、小生が世話しない草花ほど元気に育つって、どういうこと?
昨晩、見たハンズマンの特集、面白かった。お客本位は伊達じゃない。
セットやビニールの袋に入っている商品を、部品一個のためにバラして売る! すべてはお客様のためにって、臭そうな台詞だけど、テレビの特集で見ていた限り、紛れもなく実行していた。
ブラタモリ、見てる。町をゆっくりのんびり歩けるって、贅沢。貧乏人(心の貧しい人)には、叶わぬ芸当なのかな。
思えば在京時代、家と会社や僅かな拠点を往復するだけの生活だった気がする。遊び心がなかった。バイクでも、ひたすら走るばかりだったし。でも、これが我輩の性分なのだろう。
家捜ししてたら、化粧箱に入った(当然、未使用の)毛布が見つかった。昨夜から使い始めたら、暖かかった。タオルケットとは違うね!
お陰で、凍えながら寝入るってことはなくなった。布団や毛布を買うおカネがないから仕方ないんだけど。
ポール・オースターの『オラクルナイト』読了。次は、スタニスワフ・レムの『ソラリス』。ポーランド語からの沼野充義さんによる直訳版。いつかは読もうと思いつつ、機会を逸していた。さて、どんな小説か。
村上春樹の『1Q84』を読みたかったんだけど、図書館での予約は、270人以上の順番待ち。年内どころか来年も怪しい。
図書館の司書さんの話によると、12冊の本で回しているという。それでも、一人当たり、貸し出し期間が十日として、二百日は軽く越える。来年のうちには文庫に入るかもしれない。
今年の7月に賞味期限のチャーハンの素。捨てるの惜しくて、チャーハンにトライ。卵はもちろん、チャーシュー(細切れ)も入れて。食べて2時間。今のところ、おなかの調子、悪くない。
聞くところによると、こうした「素(もと)」的なものは賞味期限をあまり気にしなくていいみたい。3つ入りパックなので、三日連続でチャーハンを食べたけど、今のところ問題ないみたい。
← 「丸木スマとアール・ブリュット展 」のポスター。丸木スマ 自身は、アール・ブリュットじゃなく、素朴派かもしれない。何ゆえ、素朴派の丸木スマ とアール・ブリュット 的な表現者とを組み合わせたのか。絵画の世界には、Shuji, Takashi とか、いろんな表現者がいる 。
ハイドンの「水上の音楽」、図書館でやっと見つかった。
東京在住時代、近所の図書館で借りて聴いて、気に入った。アルビノーニなど、音楽の世界が広がった。
家の奥の廊下、整理していたら、下駄が出てきた。誰のだろう? 学生時代、下駄で闊歩してたことあったなー。懐かしい。
大学に入って三年目、丘の上のアパートで暮らしてたけど、そのころ、一年下の奴に影響されて、下駄を履きだした。コンクリートの道をカランコロン。思えば、近所迷惑だったかな。
下駄、もう少し暑い時期に再発見したかった。今からじゃ、下駄は寒いね。
いつもながら、ブラタモリ、面白いなー。東京在住35年なのに、知らない世界が一杯だ!
野沢那智さん死去 だとか。小生の中では、未だに、イリヤ・クリヤキン! 友人宅の近所に家があったけど、訪ねに行く勇気はなかったなー。
スタニスワフ・レム著の『ソラリス』を読んでいる。面白いのかどうか分からないが、読む手が止まらない。カフカ的(城)、ポー的(メールシュトレームの大渦)、ムシル的(特性のない男)、カネッティ的(眩暈)、埴谷的、時にセリーヌ的。不思議な世界だ。
レムの「ソラリス」は読んでいて、ある種の文章の生硬さ、やや無理筋的な展開や表現が目立つ気がする。時に不器用にも感じられるし。一昔前の文学の特徴なのだろうか。今時の分かりやすい、ストーリー展開の面白さで持っていく小説とは違う。文学を信じている、という感がある。文学上の表現でしか居場所がないということか。
← スタニスワフ・レム著『ソラリス 』(沼野充義訳 国書刊行会)
家の奥の箪笥など整理してたら、古い写真が出てきた。自分でも覚えてない場面があったりして、写真の威力を思い知る。
家のあちこちから写真(アルバム)が出てくる。たくさんの写真(アルバム)を前に、みんなでワイワイ語り合うのも楽しいだろうなー。実現はありえないだろうけど。

