今日21日は明治~昭和期の俳人・杉田久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 - 1946年(昭和21年)1月21日)の忌日だという 。
→ 春の陽気に恵まれた今日、鳥の姿も何処となくのんびりしているように見える(茶の間の窓越しの撮影なので、画像がぼやけている)。
日溜まりに鳥の背中の温みけり (や)
本ブログは少なくとも当初は季語随筆を銘打っていながら、杉田久女についてはほとんど採り上げたことがない
。
段々、季語随筆から離れ、季語随筆日記と銘打ち、ついには「季語随筆読書創作愚痴日記…富山情報も
」などと、何でもあり、つまりは雑談ブログと化してしまった!
せめて今日は、久しぶりに俳句関連の話題を綴ってみる。
小生など俳句の世界には(も)消息の疎い人間なのだが、それでも久女の声望には折々触れている。
何故、名前だけとはいえ、小生までが聞き及んでいるのか。
「杉田久女 - Wikipedia 」によると、「現代の俳人で、小説や芝居にもっとも多く登場するのは久女であろう」として、松本清張『菊枕』(昭和二十八年「文藝春秋」)、吉屋信子『底のぬけた柄杓-私のみなかった人「杉田久女」』(昭和三十八年「小説新潮」)にはじまり、田辺聖子『花ごろもぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女』などなどの事例が示されている(松本清張の『菊枕』については、事実誤認があるということで、「久女の遺族から名誉毀損で訴えられることになりました。清張は死ぬ間際になって自らの誤りを認め、久女の遺族に謝罪した 」とか)。
舞台化もされ、「才能ある俳人であった久女は、夫の理解を得られず、師の高浜虚子にも疎まれ、狂気のうちに亡くなったというイメージで」独特な「久女像は一人歩きすることになった」らしい。
「久女は、育児の傍ら兄の影響で俳句を始め、やがて虚子の主宰する俳誌ホトトギスの雑詠欄に投句するようにな 」ったけれど、「虚子よりホトトギス同人を除名され」、それでも「除名後もホトトギスへの投句を続けた」とか、「太平洋戦争後の食料難により栄養障害をおこ」し、享年57で亡くなったことも彼女像の形成に預かって大きいのかもしれない。
久女の代表句として以下は、大概、紹介される:
花衣ぬぐや纏わる紐いろいろ 杉田久女
「実りのとき ノラともならず・杉田久女 」では、「花見のあと家に帰り、次々に紐を解いては着物を脱いでリラックスすると同時に、花疲れを覚えるというところでしょうか。女性のあでやかさ、華やかさを鮮やかに表現する中に、古典的な詩味をたたえた名句です。男性には発想することさえとてもできない俳句でもあります」と鑑賞されている。
「田舎教師に甘んじている夫との不和が危機的な状態とな」った時の句として以下も有名である:
足袋(たび)つぐやノラともならず教師妻 杉田久女
この句が詠まれた「当時評判であったイプセンの戯曲 『人形の家』 の女主人公ノラは、妻の生活と近代人の自我との間に悩み、遂に意を決して家を出て行くが、久女はそれにならう決断もつかず、冷え切った家庭の中で教師の夫と暮らしている、という意味」だという。
ちなみに、小生もイプセンの戯曲 『人形の家』 は、短いが凝縮されたドラマということで、戯曲作品は敬遠気味で、せいぜいチェーホフやシェイクスピアくらいしか読まないにも関わらず、主に学生時代、数回は読み返した。
社会人になってからはイプセンから遠ざかったけれど、今、読んだらどんな感想を持つか、我が事ながら、ちと興味がある。
余談はさておいて。
← 三日前、寒波の緩みだした昼間、立山連峰を撮影。
以下、鑑賞は各サイトを参照願うとして、代表的な句を幾つか載せておく:
東風(こち)吹くや耳現るゝうなゐ髪 杉田久女
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女
谺して山ほととぎすほしいまま 杉田久女
「福岡、大分の県境にそびえる英彦山(ひこさん)は古来、山形県の羽黒山、奈良県の大峰山と並んで日本三大修験場の霊峰として知られる。そして俳人、杉田久女(ひさじょ)が最も多く吟行した場所の一つでもある
」といった掴みから始まる、「asahi.com:杉田久女と宇内 - トラベル「愛の旅人」
」なる頁は、久女の人生を巡って興味深い紹介になっていて、一読を薦めたい。
我が季語随筆日記ブログにも折々登場願った黛(まゆずみ)まどかさんが久女の句に出合って俳句に携わる経緯(いきさつ)も紹介されているのも嬉しい。
それにしても、何故、虚子は久女を勘当したのだろうか。
花衣脱ぎ捨てられて虚ろなり (や)
(10/01/20 作)

